【イチローズ・アート・バー】第9回 顔真卿の魅力

長年にわたり展覧会づくりに携わってきた陶山伊知郎による、美術展の隠し味談義です。

 

「王羲之を超えた」

中国・東晋(317~420年)で活躍した「書聖」と呼ばれる王羲之(おうぎし)(303361年)の書は、古典中の古典とされる。中国でも日本でも、書家の多くが王羲之の書に直接、間接の影響を受けている。その王羲之を超えたと言われるのが顔真卿(がんしんけい)(709785年)だ。顔真卿は唐時代の官僚で、最高傑作のひとつ「祭姪文稿」(さいてつぶんこう)が東京国立博物館で公開されている。

 

 

 

 

書の最高峰

中国の書は、東晋時代と唐時代(618907年)にクライマックスを迎えたといわれる。王羲之は、文字に芸術的な美を吹き込み、その流れは唐時代の書家に受け継がれた。初唐の三大家、虞世南(ぐせいなん)、欧陽詢(おうようじゅん)、褚遂良(ちょすいりょう)は王羲之の基盤の上に、今日につながる楷書の規範を確立した。

その次の世代、8世紀中頃に現れたのが顔真卿。王羲之や初唐の三大家の伝統を継承しながら、力強く、おおらかで、躍動感があり、かつ重厚な書風を創出した。むき出しの情念のこもるその書は、命を惜しまない激しい生き方とともに後世の人間を魅了してきた。

その代表が、「祭姪文稿」だ。安史の乱(755763年)で混乱に陥った唐王朝を、顔真卿は無類の勇敢さと知略で救ったが、この騒乱の中で従兄弟の子、顔季明を非業の死で失った。「祭姪文稿」は、その死を悼む、顔真卿の弔文の草稿。最初は穏やかな書き方が、徐々に文字から悲憤が大きくあふれ出してくる。推敲のあとも生々しい草書、行書で書かれた草稿は、単なる書を超え、熱を帯びたオーラを発し、王羲之の最高傑作「蘭亭序」(らんていじょ)と比肩する書とも呼ばれる。

 

顔真卿「祭姪文稿」の展示風景

 

「奇跡の初来日」

この中国書法の至宝「祭姪文稿」は、所蔵する台北・故宮博物院でも数年に一度しか展示されない秘宝中の秘宝だ。実際、最近の展示は、7年前の2012年である。故宮博物院においてさえ簡単には見られない「祭姪文稿」を日本で見せる、という発案は破天荒でさえあり、中国、台湾からの大勢の観光客が会場を訪れているのもそうした背景がある。主催者は、2014年ころから足掛け5年の年月をかけて借用を実現したという。

 

 

「祭姪文稿」の展示室

 

狂草の至宝                         

もう一つ、「奇跡」と並んで注目したい作品が、台北・故宮博物院蔵で顔真卿の同時代の僧、懐素(かいそ)の書いた「自叙帖」。極端にくずした草書を意味する「狂草」の代表的な作品で、故宮博物院でも屈指の人気を誇る作品だ。こうした唐の書風は、894年に廃止されるまで遣唐使らによって日本へも伝えられ、大きな影響を与えた。平安時代の有名な書家で、日本の三跡のひとり藤原佐理(すけまさ)(944998年)の「恩命帖(おんめいじょう)」(23日まで展示、宮内庁三の丸尚蔵館蔵)、「国申文帖(くにのもうしぶみじょう)」(2524日展示、書芸文化院春敬記念書道文庫蔵)に見られる大胆で自由な運筆には、「自叙帖」に通じる気脈も感じ取れる。かなが生まれた背景には狂草がある、という説にも思わず頷きたくなる。

 

懐素「自叙帖」の展示風景

 

 

豪華な共演作品

顔真卿を高く評価した北宋の四大家の蘇軾(そしょく、10361101年)、黄庭堅(こうていけん、10451105年)の書も合わせて展示されている。「顔真卿の書はとりわけ力強く、従来の書法を一変したことは、杜甫の詩のようである」と称揚した蘇軾の展示作品は、重要文化財「行書李白仙詩巻」(大阪市立美術館蔵)。その蘇軾の考えを受け継いだ黄庭堅の「草書李太白憶旧遊詩巻」(京都・藤井斉成会有鄰館蔵)は、展覧会への出品自体が稀。顔真卿らの肉筆作品と同じ会場で見られる今回の展示は、千載一遇のチャンスだ

東京国立博物館の学芸企画部長・富田淳さんは「顔真卿の影響を数々の名品によって感じとることが出来るのも、この展覧会の見どころでしょう」と語る。

 

大作、展示映像などにも注目

唐時代の玄宗皇帝の筆になる「紀泰山銘」の拓本は、縦8メートル超、横も約5メートルの大作で、展示室にも開放感が漂う。

玄宗皇帝の筆になる「紀泰山銘」の拓本

 

展示映像も工夫が凝らされている。虞世南、欧陽詢、褚遂良、顔真卿が書いた「風」「無為」をリレー式につなげて見せる映像は、書体の違いを浮き彫りにする。また「祭姪文稿」のコーナーの映像は、紙の上で書き進められる過程を再現したもので約6分。顔真卿の書作の現場に立ち会うような面白さがある。

作品のキャプションには「はじまりはいつも顔真卿」「19世紀もかたくなに顔真卿」など、遊び心を交えたコピーが散りばめられている。

書以外にも見逃せない作品がある。北宋時代の李公麟(りこうりん)の「五馬図巻」だ。画馬の古典として伝えられ、清時代には「祭姪文稿」と同様、乾隆帝のコレクションに入った稀代の名品で、長く研究者さえ目にすることも出来なかった。このいわば「幻の名品」が、2017年に東京国立博物館に寄贈され、本展で初公開されることになった。

多くの傑作を一堂に鑑賞できる稀有な機会だ。

(読売新聞東京本社事業局専門委員 陶山伊知郎)

 

特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」  

2019年1月16日(水) ~ 2019年2月24日(日) 東京国立博物館 平成館

会期中展示替えあり

顔真卿「祭姪文稿」など唐時代の名品を中心に、甲骨文字、東晋の王羲之から19世紀清時代までの中国の書と、三筆・三跡など日本の書を含む合計177件により、唐の書の神髄と、後世に及ぼした影響に迫る。(展示替えあり)

関連企画として「王羲之書法の残影-唐時代への道程ー」展が東京国立博物館、台東区立書道博物館で開催されている。王羲之が出た東晋時代と、隋・唐時代の間の、約150年にわたる南北朝時代(439~589年)に焦点をあてる。王羲之・王献之らの洗練された書風を継承した南朝の書と、雄偉で構築性に富んだ書風の北朝の書は、楷書の成立を準備しつつ、隋による中国統一によって融合し、唐時代のクライマックスへとつながった。その歩みを、拓本や肉筆資料等で紹介する。

「王羲之書法の残影-唐時代への道程-」

 1月2日(水)~3月3日(日) 東京国立博物館 東洋館8室  

1月4日(金)~3月3日(日) 台東区立書道博物館             

 

 

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