廃墟の先に見えてくる風景 【きよみのつぶやき】第9回 「終わりのむこうへ : 廃墟の美術史」展

ベテランアート記者・高野清見が、美術にまつわることをさまざまな切り口でつぶやくコラムです。

終わりのむこうへ : 廃墟の美術史」展
2018年12月8日(土)~2019年1月31日(木) 東京・渋谷区立松濤美術館

※巡回予定はありません。

空想を交えた廃墟画を得意とし、「廃墟のロベール」と呼ばれたユベール・ロベールの「ローマのパンテオンのある建築的奇想画」(1763年  ペン、水彩、紙) ヤマザキマザック美術館(名古屋市)蔵

タイムリーな?企画

昨年から毎日のように「平成最後の」という言葉に接している。まだ耳慣れない頃は、アナウンサーが「平成最後の夏休みを迎えた子どもたちは・・」などとニュース原稿を読むと、ちょっとした感慨も覚えた。しかし、この頃はやや食傷気味。年末年始に「平成最後の在庫一掃セール」と書かれた広告チラシの文字を見た時には、「所かまわず使いすぎではないか」と思った。

その平成最後の年末年始をまたぎ、渋谷区立松濤(しょうとう)美術館(東京)で開かれている「終わりのむこうへ:廃墟の美術史」展は、一つの時代の終わりを迎えようとしている社会の気分にどことなく通じる展覧会だ。実際、担当学芸員の平泉千枝さんが作品を借りるために各地の美術館を回ると、前々からこの時期の開催が決まっていたにもかかわらず「タイムリーな企画ですね」と声をかけられたそうだ。

西洋から伝わった「廃墟画」

西洋絵画には「廃墟画」の伝統があり、特に18世紀になってブームが起きた。イタリアのベスビオ火山の噴火で滅んだ古代ローマの都市ポンペイ、ヘルクラネウムの遺跡が18世紀初頭~半ばに相次いで発見され、古代への関心をかき立てたこと、そしてイギリス上流階級の子弟が見聞を広げるために旅した、いわゆる「グランド・ツアー」で廃墟めぐりが流行し、廃墟を描いた絵も人気を博したことが主な理由とされる。
日本でも江戸時代、西洋の銅版画に影響されて異国情緒豊かな廃墟画を試みる画家が現れた。近年では廃墟ブームが起き、写真集や廃墟巡りの本が相次いで出版される一方、廃墟を描いた絵画もしばしば話題に挙げられている。
今回の展覧会は「廃墟」をテーマに据え、西洋と日本の作品73点でその系譜をたどる。作品はすべて国内の美術館と大学、個人などから集めたもの。国内コレクションだけで作ったお手軽な企画だと誤解されそうだが、廃墟にまつわる絵画がそれだけ数多く描かれ、日本国内にも蓄積されてきたと見るべきだろう。

「廃墟のロベール」

廃墟の絵を得意とした画家として有名なのは、「廃墟のロベール」こと19世紀フランスのユベール・ロベールだ。本展では1点だけ、水彩画の「ローマのパンテオンのある建築的奇想画」(1763年)が展示されている。現実に存在する廃墟をありのままに写生するのではなく、それを基に自由な想像力(まさに奇想)を広げたスケールの大きさが特色。2012年に国立西洋美術館で開かれた日本初の本格的な回顧展「ユベール・ロベール-時間の庭」を思い出す方もいるだろう。
ほかに、都市や遺跡をテーマに膨大な版画を制作した18世紀イタリアのジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージや、明治政府が設立した工部美術学校で西洋美術を教えたイタリアの画家アントニオ・フォンタネージ、20世紀のアンリ・ルソーやポール・デルヴォーなどが廃墟を油彩画や版画で表現した作品を紹介。日本では江戸時代に洋風の絵を描いた亜欧堂田善(あおうどう・でんぜん)や浮世絵師の歌川豊春などから、明治時代に海外留学して廃墟や遺跡を描いた藤島武二や松岡壽(ひさし)、そして現代美術の画家による廃墟画へと続く。

亜欧堂田善「独逸国廓門図」(1809年 紙本銅版筆彩)東京国立博物館蔵 説明パネルの右の写真は、イメージの基となったと考えられるピラネージの銅版画(1743年)
ヨーロッパに留学した日本人画家の作品。右:藤島武二「ポンペイの廃墟」(1908年頃   油彩、板)茨城県近代美術館蔵 左:松岡壽「凱旋門」(1882年   油彩、板)東京芸術大学蔵

 

日本にもあった?廃墟趣味

日本では幕末~明治時代に西洋の「廃墟画」の伝統に触れるまで、廃墟が積極的に描かれることはなかったという。考えてみれば、堅固な石造りの建物や土木構造物が少なく、古代ローマの廃墟のように絵になる風景が人々の目に触れることはまれだった。木造家屋はすぐ朽ちるし、解体して部材を他の建物に転用することも多かった。戦に敗れて破壊された城や砦も、次の支配者が修築して使用してきた。

しかし文学の世界なら、廃墟の描写は日本でも万葉集の時代から存在している。当時は都をそれほど離れていない場所へ頻繁に移したため、古い都が荒れていく姿を目にすることになった。柿本人麻呂や高市黒人(たけちのくろひと)は通りすがりに往時の賑わいを振り返り、感傷的な歌を詠んだ。

楽浪(ささなみ)の国つ御神(みかみ)のうらさびて荒れたる京(みやこ)見れば悲しも  高市黒人「万葉集」巻第一

『新 日本古典文学大系1  萬葉集一』(岩波書店)の脚注によると、廃墟や旧宅に立ち寄って詠まれた詩は中国に見られるといい、万葉の歌人たちは詩文を介して影響を受けたのかもしれない。
「源氏物語絵巻」(平安時代・12世紀)には零落した貴族の邸に雑草が生い茂り、土塀が崩れてほとんど廃墟と化した風景が描かれている。浮世絵では歌川国芳などが妖怪のたむろするお化け屋敷を描いており、西洋的な「廃墟」は難しくても、「廃屋」なら多くの類例が求められそうだ。

震災や戦争が生んだ廃墟

日本で西洋のイメージに近い廃墟といえば、明治になって取り壊された城の石垣や、震災や空襲で破壊され、無残な姿をさらしたコンクリート構造物が思い浮かぶ。関東大震災では倒壊したレンガ造りの「凌雲閣」(浅草十二階)などの廃墟が多くの画家によって記録され、空襲の焼け跡に建物の基礎が古代遺跡のように残る風景は、松本竣介などの作品が知られている。

それらは本展に出品されていないが、大沢昌助(1903~97年)の「真昼」(1950年 練馬区立美術館蔵)という油彩画には、焼け跡に残る建物の基礎を思わせる敷石の上で少年が花を手にする風景が描かれている。

左から、元田久治「Indication : Shibuya Center Town」(2005年 リトグラフ)と「Indication : Diet Building , Tokyo3」(2008年 ミクストメディア、カンヴァス)

空想の廃墟から未来へ

展覧会の後半には、現代日本の画家である大岩オスカール、元田久治、野又穫(のまた・みのる)の作品が並んでいる。
その中で特に見るのを楽しみにしていたのが、本展のために描かれた野又さんの新作。2点あって、「イマジン-1」は房総半島上空あたりと思われる視点から東京や神奈川、富士山までを一望に収める俯瞰図(ふかんず)。「イマジン-2」は巨大な空想の観覧車だ。
野又さんは空想の建築を描いてきた画家で、フジテレビのドラマ「白い巨塔」(2003~04年放送)のタイトルバックにそびえる巨大な塔の絵でも知られる。東日本大震災で津波が建物を破壊する映像に衝撃を受け、作品が描けなくなる時期もあった。その後、2013年に町田市立国際版画美術館(東京)の「空想の建築 ピラネージから野又穫へ」展で発表した「交差点で待つ間に」は、それまでの作風から大きく変わり、渋谷の交差点が未来の廃墟として描かれていた。

野又穫さんの新作「イマジン-1」(右)と「イマジン-2」(いずれもアクリル、カンヴァス)

 

俯瞰図の「イマジン-1」は展覧会場の最後に展示されている。それを見た時、とっさに津波か震災で壊滅した首都圏をイメージした。東日本大震災の後、がれきが片付けられた地上に道路や鉄道の跡だけが走る空撮写真や映像を見ていたからだろう。野又さんは渋谷の廃墟からさらに想像を広げ、誰もいなくなってしまった風景を描いたのかと思った。

ところが、展覧会の開会式に出席した野又さんに話を聞くと「自分では今まで『廃墟』を描いた覚えがないんです」と意外な言葉が返ってきた。「建築を描くことで、負の部分をたずさえながらも何かより良いイメージというか、予兆みたいなものを意識して描いてきました」。2013年に発表した渋谷の交差点の廃墟画も、「近くに住み、慣れ親しんできた街が遺跡のように保存され、永遠に残るものとして描いた」という。野又さんは「どう見るかは自由です」と言ってくれたが、自分の解釈の浅さを恥じた。

新作の2点には、制作の動機として東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の現実がある。「イマジン-2」の観覧車にはチェルノブイリ原発の近くにあった遊園地のイメージが重ねられ、「イマジン-1」の俯瞰図はまさしく「福島を背にして見た関東平野」を描いたものだ。

しかし、そこには野又さんの言う「予兆」も託されている。特に「イマジン-1」は、廃墟の絵が並んだ今回の展覧会で観客が目にする最後の一枚であることを意識したという。

「未来はそれぞれのやり方次第。“終わりの向こう”をどう作っていくのか、見る人の想像にゆだねようと思いました。俯瞰図にしたのは“神様目線”というか・・」。災厄から受けた傷を抱えながらも、未来を志向する画家の意志を感じさせた。

画家の宇佐美圭司は1998~99年、アジアや北アフリカで「文化遺産や歴史的な遺跡が崩壊の輝きとして現れる姿」を見て回り、20世紀最後の2000年に『廃墟巡礼』(平凡社新書)を出版している。その中にこんな一節があった。

《 廃墟には崩壊と生成の震動があり、変容のなかでざわめく未来が予感される。蕾(つぼみ)の崩壊が花の生成であり、散る花びらは種子の結実を祝福する。崩れゆくもののなかにこそ、生成するものの新たな息吹があふれ出すのだ。》

廃墟の先に広がる風景は、私たちの想像力と行動によっていかようにも変わるものなのだろう。

(読売新聞東京本社事業局専門委員 高野清見)