【イチローズ・アート・バー】第8回 北斎のまなざし 

東京・ニューヨークで展覧会企画に携わった読売新聞事業局・陶山(すやま)伊知郎の美術を巡るコラムです。

多彩な展示

江戸時代は庶民レベルでも食生活が豊かになったと言われる。そのせいか、食にまつわる浮世絵も少なくない。東京・両国のすみだ北斎美術館で開かれている「大江戸グルメと北斎」展は、「江戸の食材」のほか、レシピ本などを紹介する「江戸の料理帖」、グルメの再現レプリカも登場する「江戸の人気料理」など、葛飾北斎や他の絵師が描いた食に関する浮世絵などから、当時の食文化や食生活をたどる多彩な展覧会となっている。

 

群を抜く生命感

「ホクサイ・スケッチ」として海外で知られる葛飾北斎の『北斎漫画』には食べ物や食にまつわる人も多く描かれている。第1展示室(3階)=写真は入り口=と第2展示室(4階)で、『北斎漫画』をはじめとする北斎の作品34点が展示されている。

会場で間近に見る『北斎漫画』などに描かれた食べ物や人の活写は、やはり他の絵師とは違う。生命感が感じられる。場の空気まで伝わってきそうだ。食べ物がおいしそうに見える。

 

リアルなあんこう

『北斎漫画』の魚が描かれた箇所を見る。泳ぐ姿、まな板に乗せられたような姿など様々だが、「静物」であっても生き生きしている。ひっくり返ったあんこうに目がとまった(写真①=左頁中段)。単に反り返っているだけではない。体の各部にかかる重みが、リアルな感覚で描き分けられている。本来なら腹はへこむはずなのだが、そのふくらみさえ生々しい。

①葛飾北斎『北斎漫画』 二編 すみだ北斎美術館蔵

 

一方、隣に並べられた市川甘斎の『甘斎画譜(第四)』=写真②=の魚は、姿形は正確だが、北斎のあんこうと比べると、表面的に写しとっただけ、という印象はぬぐえない。

 

②市川甘斎『甘斎画譜』 第四 すみだ北斎美術館蔵

重力をとらえる

北斎が描いたたわみ、あるいは重力に抗(あらが)う筋肉の緊張感は、解剖学的知識というより、直感でとらえたものだろう。重力はあらゆる細部に例外なく作用する。その描写の極意を体得していたからこそ、フィクションやデフォルメを交えた描写に迫真の生命感が宿る。立体的な印象はそこに秘密がありそうだ。

北斎の眼

北斎の代表作中の代表作「冨嶽三十六景」の「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」(展覧会には不出品)には、小舟に乗る男たちの姿がある。波に翻弄される感覚が伝わってくるかのようだ。波を昇る時の加重感、下る時の無重力感、浮揚感が確かにとらえられているからに違いない。

 

葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」すみだ北斎美術館蔵

 

一見、平面的、装飾的に見える作品だが、西洋の名画に劣らぬその臨場感は、重力という見えない力をとらえた、北斎の傑出した眼が生み出したものと言えそうだ。奥に悠然とたたずむ富士山との対比で、一層「生きている」波が引き立っている。

美術館4階の常設展示室には、長屋で暮らす北斎と娘・お栄が、当時の絵を元に3次元で再現されている。畳の上の屈み込むようにして筆を動かす北斎の機械仕かけの人形。傍らに座るお栄の人形は少し覚めた目で父・北斎の筆に視線を送っている。「覚めた」と見えるのは、お栄自身が優れた絵師で、父・北斎の手を真剣に見ているからだろう。そしてお栄の真剣勝負の目は、北斎譲りに違いない。

印象派の巨匠モネは、旧来のアカデミックな絵画とは異なる明るい視覚世界を描きだし、「モネは一つの眼に過ぎない。しかし何という眼だろう!」(セザンヌ)と評された。北斎が見えない重力さえとらえていた、とすれば、まさに驚くべき眼だ。

北斎の食にまつわるエピソードは、実はあまりない。「寝る前に蕎麦を2杯食べる習慣があり、それが90歳と言われる長命の秘訣だったかもしれない」という話が伝わる程度だ。つまり北斎はグルメというほど食に関心はなく、食材も、食べるよりも見て、描く対象だったようである。北斎は味覚より視覚の人だったといえそうである。

(読売新聞東京本社事業局専門委員 陶山伊知郎)

大江戸グルメと北斎」展  すみだ北斎美術館(東京・両国)

2018年1120日~2019120

 

食べ物が描かれた浮世絵や江戸時代の料理を再現したレプリカ、レシピ本により、江戸時代の食文化を紹介。北斎の作品34点を含む合計100点を展示。

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