【きよみのつぶやき】第8回 素朴にして鮮烈、木版画のエネルギー(「闇に刻む光 アジアの木版画運動1930s-2010s」展)

ベテランアート記者・高野清見が、美術にまつわることをさまざまな切り口でつぶやくコラムです。

 闇に刻む光 アジアの木版画運動1930s-2010s」展
福岡アジア美術館(福岡市)  2018年11月23日(金) 〜 2019年1月20日(日)
アーツ前橋(群馬県)  2019年2月2日(土) ~ 3月24日(日)

手軽で安く、大量に

正月に届いた年賀状の中に、今年も干支や縁起物をあしらった木版画が混じっていた。プロの版画家や画家から頂いた、小さくても「作品」といった感じのものもあれば、高校や大学の友人が毎年彫って送ってくれる素朴な味わいのものもある。

木版画は、手ごろな大きさの板と彫刻刀さえあれば誰でも彫ることができる。インクと紙、バレンで手軽に刷れるし、ビラやポスターを大量生産しても費用は知れたもの。どこへ持ち運ぶにも手間がかからない。その特性から、木版画は近現代のアジア諸国において労働運動や民主化闘争と結びつき、民衆に政治的メッセージを伝える有力なツールになったという。
福岡アジア美術館(福岡市)で開かれている「闇に刻む光 アジアの木版画運動1930s-2010s」展はそこに注目し、木版画の普及などに美術家が果たした役割や、国を超えた交流、影響関係を紹介した企画。日本でも戦前から労働運動などで木版画が盛んに使われたが、本展はアジア全体をマクロ的な視点で捉えようとした点が画期的だ。

ここで使われる「木版画運動」という言葉について、展覧会を中心的に担った福岡アジア美術館の黒田雷児(らいじ)さんは図録論文で「美術家が自分の作品を『展覧会』以外の手段で広範な観衆に届ける、制作と普及が一体化した美術家の自発的・自律的な行動を意味する」と定義する。したがって、展覧会に集められたのは社会的メッセージの強い作品に絞られ、扱われる美術家には学生やアマチュアも含まれるのが特色だ。

中国では作家・魯迅が先導

展覧会場に入ると、中国近代版画の先導役として作家・魯迅(1881~1936年)がまず紹介されている。自分は版画家ではないが、美術愛好家だった魯迅は1931年8月、上海で美術学生などを集めて「木刻講習会」を開いた。上海で内山書店を経営していた日本人の内山完造が協力し、夏休みで日本から訪れた弟で美術教師の嘉吉(かきつ)が講師役を務めた。ちなみに内山書店は現在、東京・神保町のすずらん通りにあり、ホームページには魯迅との深い縁も記されている。
魯迅は若手版画家を支援し、出版や展覧会によって同時代のドイツ、ソ連などの版画を紹介することにも力を入れたという。

魯迅の講習会で作られた素朴な作品は現在、神奈川県立近代美術館に収蔵されている。それらをはじめとする木版画と、中国で発行された新聞・雑誌などの展示によって、急速に木版画が広まり、抗日戦争や共産党のプロパガンダに利用されていったことがうかがえる。当時、中国の民衆の多くは文字が読めず、絵だけでメッセージを届けられる木版画はうってつけの情宣(情報宣伝)ツールとなった。

魯迅が上海で開いた木版画講習会で作られた作品の一つ、チェン・ティエゴン(陳鉄耕)の「逮捕される」(1931年)=右 神奈川県立近代美術館蔵

戦後日本の木版画ブーム

中国で木版画が広まった1930年代、日本では浮世絵などの木版画製作で行われていた分業制に対し、明治時代後半から始まった作者が一貫して製作する「自画・自刻・自擦」の創作版画が一つのピークを迎えた。平塚運一、恩地孝四郎、谷中安規、藤牧義夫などが多くの名作を生み出したが、本展は労働・政治運動などと関係が深い作品に焦点を当てているため、昭和初期のモダン風景や幻想的な世界を描いたそれらの作品は登場しない。創作版画の主要作者で取り上げられているのは、「プロレタリア大美術展」に出品した小野忠重くらいだ。

また、展示の中で特に手厚く紹介しているのが、敗戦後に各地の職場・地域単位で生まれたサークル活動を主体とする木版画運動。日本では1947年、上海で魯迅が開いた講習会で作られた作品を核とする木版画展が神戸、東京の百貨店で開かれたのをきっかけに中国版画ブームが起きたという。刺激を受けた一部の芸術家たちが北関東で「木刻運動」を始め、翌48年には「日本版画運動協会」の結成に発展。版画サークルが各地に生まれ、学校でも版画教室が開かれた。私たちが小学校で受けた版画教育も、遡ればこのあたりに起源があるのだろう。

戦後日本の木版画ブームを伝える雑誌「版画運動」(1949年~)=手前=。壁の右端は上野誠「平和を守る 原爆展」ポスター(1952年)=神奈川県立近代美術館蔵

 

当時の版画ブームは、戦後民主主義の高まりとともに「誰もが芸術家になれる」という希望が背景にあった。会場内のモニターでは1947年に茨城県大子町で開かれた「木刻まつり」を取材したニュース映画が流されているが、参加した主婦や子供の作品を紹介し、「民衆芸術運動を起こす」という主催者の意気込みを伝えている。

また、「日本版画協会」発行の「版画運動通信」第2号(1951年6月)でも、「東芝小向版画グループ」の一人が中国版画について「ノミと板と墨と紙で容易に作られるこの版画の黒と白の二色によって描き出されたきびしい美しさに心うたれた」「自分のいたらない弱点をびしびしたたかれているような気がした」と感想を記している。自分も版画を作る一人だという強い自覚がにじむ。

今日も続く木版画運動

映像メディアがあふれ、インターネットが発達した今日から見れば、木版画はいかにも古く、スローな伝達手段のように映る。
しかし実際には、立場の弱い民衆が権力や抑圧に対抗する有力なツールであり続けてきた。展覧会場では1960~70年代のベトナム戦争中、中国版画の影響を受けた木版画が作られていたことや、韓国で1980年に起きた光州事件をきっかけとする「民衆芸術運動」など、アジアの国々で起きた動きを取り上げている。

最近でも2014年春、台湾の学生たちが対中政策に反対して立法院を占拠した事件(ひまわり運動)で、ひまわりに「非暴力」の文字を添えるなどした木版画が路上で掲げられた。2016~17年に韓国の朴槿恵(パク・クネ)前大統領の弾劾を求めて起きたデモでも、版画を配って連帯を呼びかける行動が見られたという。

韓国の民主化運動の犠牲者を描いたチェ・ビョンスの版画「ハニョルをよみがえらせろ!」(1987年)を基に作られたコルゲクリム(大型の掛絵)=中央=は集会やデモに掲げられ、運動のシンボルとなった
2014年、台湾の学生たちが「ひまわり運動」で掲げた木版画の数々

美術史に新しい視点

なぜ、今日でも木版画が使われ続けるのか。展覧会を見て、「手軽で安く、大量に」という利点のほかにも思い当たることがあった。
民衆の目に触れにくい場所で行われる弾圧や不正は、写真や映像に記録されないことも多い。しかし、木版画ならそれを再現して告発することができる。しかも彫刻刀で彫った鋭い線、白黒の強いコントラストは、描かれた主題をより劇的なものに見せ、訴える力を増す。

韓国の民主化運動で催涙弾の直撃に倒れた学生を悼む「ハニョルをよみがえらせろ!」(1987年)という版画は、美術家のチェ・ビョンスが新聞に載った写真を見てすぐさま木版に彫り、それが紙や布に大量に刷られて民主化運動のシンボルになったという。写真をコピーするのではなく、木版に怒りとともに刻んだイメージに置き換えることで、大きな共感を呼び起こしたのだろう。

一見すると素朴で、アマチュアらしい不器用さも感じさせる木版画が、時に激烈な抵抗やプロパガンダの手段となり得ることを考えさせる。

福岡アジア美術館の黒田雷児さんは、図録論文の中で次のような狙いも書いている。
《「運動」の観点から「美術」活動をとらえなおすことで、「美術史」からは見えてこない政治・社会運動による様々な展覧会や出版、個人や集団の交流を掘り起こし、「近代化」の歴史のなかで「美術」が演じた役割を再考する契機とすることももくろんでいる。》

美術史に新たな視点を与えようとする意欲的な企画展。開催される美術館が、同館とアーツ前橋のわずか2館にとどまることが、つくづくと惜しい。

(読売新聞東京本社事業局専門委員 高野清見)

直前の記事

【イチローズ・アート・バー】第7回 「美術品の評価」を問うシンポジウム

東京・ニューヨークで展覧会企画に携わった読売新聞東京本社事業局・陶山伊知郎の美術を巡るコラムです。   「美術品の評価」を問う〜文化庁のシンポジウムから〜 美術品など芸術資産をどう活用していくか。日本の美術品市

続きを読む
新着情報一覧へ戻る