捨てられた絵の記憶 ― 東大中央食堂の「宇佐美圭司」作品廃棄問題 【きよみのつぶやき】第7回

ベテランアート記者・高野清見が、美術にまつわることをさまざまな切り口でつぶやくコラムです。

2018年の美術界で一番残念な出来事は、東大本郷キャンパス(東京都文京区)の中央食堂の壁に1977年から展示されていた画家・宇佐美圭司(1940~2012年)の大作「きずな」(4枚組みキャンバスで構成。縦3.7m×横4.8m)を、所有者である東大生協が食堂の改修工事に際し、廃棄処分していた事実が春先に明らかになったことだ。

宇佐美は60年代から絵画作品を発表して注目され、文学者・建築家・音楽家など分野を横断した交流と活発な評論活動でも知られた。「きずな」は東大生協の依頼を受けて制作し、食堂の壁画として40年あまり学生と教職員の目に触れてきた。それを注文主である東大生協がゴミのように捨ててしまったのだから、ショックは大きかった。

東大(本郷)の中央食堂にあった宇佐美圭司「きずな」(大学関係者提供)

東大だけの問題ではない

しかし、これは東大だけの話にとどまらない。歴史ある大学なら美術作品や文化財級の資料が多数残っているものだ。長年の間に関係者が世代交代し、その存在が忘れられ、あるいは見慣れ過ぎて価値に気づかないまま捨てられてしまったものも少なくないだろう。
今回の事態を受け、東大は9月にシンポジウムを開き、これとは別に美術評論家連盟(会員は評論家・美術史家・美術館学芸員など)も今年度のシンポジウムで議論に取り上げた。その一部を紹介し、問題を広く考えるための材料としたい。

なぜ捨てた?

東大と東大生協は2018年5月8日付で、それぞれのホームページに経過説明やお詫びを掲載している。
東大生協によると、老朽化した中央食堂の全面改修を決め、作品の扱いを連絡会議(生協、大学の事務方、設計事務所)で検討した。しかし、専門家に意見を求めることもせず、「絵が固定されていてそのまま取り外せない」「周りから切り取っても出入り口を通れる大きさではない」という「誤った認識」を抱き、「設計を優先させて廃棄する」と判断。廃棄処分は2017年9月に行われた。
その半年後の2018年3月、新しくなった食堂の利用者から「あの絵画はどうなった?」と問い合わせを受けたのに対し、東大生協はホームページで「移設はできないため、今回処分することにした」と回答。ほかにも問い合わせをした美術関係者のツイッターを基に情報が広がり、新聞やテレビも相次いで報道した。
東大生協の説明文には、改修工事を監修した教授の「作品を残す方向で検討し、意匠上・機能上も問題のない新たな設置場所を確認した」という「ご意向」が「検討の過程で情報として共有されなかった」事実や、宇佐美の業績・経歴は承知していたことなどが記されている。
作者がどんな人物かまで知っていたのに、なぜ捨てた? と不思議に思うところだが、根本的な理由は「公共的な空間に設置された作品の芸術的価値や文化的意義について十分な認識を共有しなかった」という一文に尽きるのだろう。

作品が設置された経緯

東大は問題を深刻に受け止め、9月28日に大講堂(安田講堂)で午前10時から午後5時まで公開シンポジウム「宇佐美圭司《きずな》から出発して」を開いた。
五神真(ごのかみ・まこと)東大総長は「食堂を管理する立場にある本学としては、所有権者であった東大生協と日頃から密にコミュニケーションを取り、作品の取り扱いについて共に細心の注意を払うべきでありました」と反省の辞を述べ、「学内に存在する数多くの学術文化資産について、正確な情報共有、適切な作品管理の徹底に一層努力を重ねて参りたい」と決意を示した。

高階秀爾・東大名誉教授(西洋美術史、大原美術館長)は、東大生協から絵の制作を誰に依頼すべきか相談を受け、宇佐美を推薦した当事者。「あろうことか、廃棄されたというのは大変驚きました」と切り出し、交流の深かった一人として宇佐美の人と作品を語った。また、中央食堂に設置された「きずな」と食堂利用者との関係について、小説家の黒井千次さんが書いた文章を読み上げた。
黒井さんは母校でもある東大に「きずな」を見に行き、宇佐美の回顧展カタログに文章を寄せている。公共空間に置かれた美術作品と人々との関係を見事に表現しているので、ここでも引用しておきたい。

《下のテーブルで学生達が食事をしているのと同様に、絵画は黙々として壁の一部を耕しているかのようだった。そこには動きがあり、営みがあり、知的な作業があった。誰一人として壁の絵に眼を向ける者などいない。それでいて、床面の学生達(ほとんどが男子)と壁面の絵画とは暗黙埋に動きを交換し、お互いに相手を無視し合いながらも関係し、夫々(それぞれ)が夫々を無意識のうちに認知する、とでもいった不思議な雰囲気を生み出していた。》 黒井千次「拒絶のキャンバス」(1992年、「宇佐美圭司回顧展-世界の構成を語り直そう」図録に掲載)

東大の中央食堂に設置された「きずな」(「宇佐美圭司回顧展-世界の構成を語り直そう」図録から)

「なぜ、そこにあるのか」

今回の問題は、中央食堂に作品が設置された経緯が組織としても個人の記憶としても引き継がれず、「なぜ、ここにあるのか」という基本的な認識が失われてしまった点にある。それが「美術を美術と見なさずに捨ててしまったのは、大学にとって致命的な失敗」と佐藤康宏・東大教授(日本美術史)が痛恨を込めて指摘する結果になった。
木下直之・東大教授(文化資源学、静岡県立美術館長)は、「きずな」だけではなく、東大構内に伝わる肖像画・胸像なども設置理由が忘れられ、あるいは時代の変化によって撤去・廃棄の憂き目に遭ってきた歴史を紹介した。『世の途中から隠されていること-近代日本の記憶』(晶文社)などの著書がある木下さんの研究テーマとして知られる話である。
そのうえで木下さんは「シンポジウムの趣旨が(宇佐美の作品は)失われてしまったけれど(作品について)語り継ごう、ということなら、『きずな』だけではなく、見えてはいるけどそれが何か分からなくなっているものがまだいくらでもある。そこに光を当てる、関心を向ける、それが何であるのかを考えることが求められている」と語った。

シンポジウムが行われた東大の安田講堂。中央食堂は前庭(手前)の地下にある

作者も「忘れられた」

実は、シンポジウムで最も私の胸に刺さったのは「忘れられたのは作品が置かれた経緯だけでなく、作者自身でもあった」という事実だ。
美術家で論客としても知られる岡崎乾二郎さんは、宇佐美が美術史研究・美術批評において忘れられかけた存在になっていたことが背景にあると指摘した。
今日、日本の現代美術の70年代が論じられる際、「もの派」と呼ばれる美術家たちに重点が置かれることが多い。「もの派」とは木・石・鉄などの自然素材や物体(もの)をほぼそのまま配置し、それらの関係性などを作品として提示した美術家たち-榎倉康二、李禹煥(リ・ウファン)、菅木志雄などを指す。
そのあおりを受けたように、宇佐美をはじめ同時代に活動した美術家たちの影が薄くなる状況が続いた。岡崎さんは「そういう言説が積み重なって、『破棄する』という背中を押してしまったのかもしれない」「これまでの言説のあり方に対してかなり責任がある」と批判した。

最晩年の宇佐美にインタビューした林道郎さん(近現代美術史、美術批評)も「1985年に日本を離れ、15年くらい外にいて帰ってきた時に、美術の言説の状況がガラッと変わっていた。宇佐美圭司についてまったく語られない状況になっていた」と振り返った。
批評や研究、ジャーナリズムの動向が、美術家をもてはやし、あるいは逆に忘却へと追いやってしまう。岡崎さんは、かつて忘れられかけていた岡本太郎が批評家や美術史家から注目され、ブームを呼ぶまでになった事実を例に挙げた。

東大のシンポジウムでは、加治屋健司・東大准教授(表象文化論、現代美術史)が多数の作品画像を使って画業を紹介したのをはじめ、宇佐美をめぐって活発な議論が行われた。「きずな」が失われてしまった痛恨事に変わりはないが、この問題が作者を再評価するきっかけとなるかもしれないと感じさせた。

討議を締めくくった三浦篤・東大教授(西洋美術史)は「貴重な作品を記憶にとどめ、語り続けていくこと。そして東京大学が学内の文化資産をどのようにチェックし、残していくのか厳しく検討すること。この2つは少なくとも共有された認識ではないか」と述べた。
それにしても、なぜ「美術作品を捨てる」という乱暴な行為が起きてしまったのか。東大生協が5月に発表した経過説明はあまりにも簡単で、多くの疑問に答える内容にはなっていない。また、東大が開いたシンポジウムでも、一般公開の形を取りながら取材記者たちに録音を一切禁止する対応に疑問を感じた。
東大が現在まとめているという報告書が、「本当は何が起きたのか」を社会に向けて明らかにすることを信じたい。

東大シンポジウムの全体討議。終盤は空席も目立った

「実物」が軽んじられる時代

一方、美術評論家連盟も11月11日に東京・上野の東京芸術大学で開いたシンポジウム「事物の権利、作品の生」で今回の廃棄問題を取り上げた。
現代思想から美術館運営の現状まで幅広い議論が行われたが、その中で特に沢山遼さん(美術批評)の発言が胸に残った。
沢山さんは、人工知能やビッグデータを用いた情報処理や仮想現実化が進むにつれ、「実物に対するリスペクト(敬意)みたいなものがどんどん下がっていく。今回の問題は、そういう世の中の流れと完全に同期していると思います」と指摘した。
超高精細な映像を視聴できる「新4K8K衛星放送」も始まり、私たちは現物を見に足を運ばなくても、作品の細部や質感を容易に目の当たりにできる時代を迎えている。京都などの寺社では文化財保護のため、本物に替えて襖絵や障壁画の精巧なレプリカを設置するところも増えてきた。
現実と仮想、現物と複製の境界があいまいになり、等価なものとして受け止められ、価値を逆転しかねない時代を迎えていることを考えさせられる発言だった。

他大学にもある作品

私は宇佐美圭司ご本人にお会いしたことはないが、80年代半ばに高校~大学時代を送った者として、名前も作品もおなじみだった。アカデミックな本や雑誌の表紙に作品画像が使われ、著作も大学入試問題によく登場していた記憶がある。
東京・三田の慶応義塾大学の図書館には、建物を設計した建築家・槇文彦さんの依頼で描かれた長さ7mに及ぶ作品「やがてすべては一つの円の中に」がある。
1982年に建物が完成した時から入り口の壁に設置され、それから3年後に文学部の2年生として三田キャンパスに通い始めた私は、「図書館に宇佐美圭司の作品が置かれているなんて、さすがに東京の大学は違う」と思ったのを覚えている。しかし、東大の問題が起きてから同窓生に聞いても、絵の存在を覚えている人はほとんどいなかった。

東大にあった絵には、少なくとも廃棄された時点で作者や作品名を書いたプレートが添えられていなかった。そのため、シンポジウムでは「表示があれば大切な絵画作品と認識され、事態は違っていたかも・・」という声が聞かれた。
慶応大学の図書館は、調べ物で今も利用することがある。宇佐美の資料を調べに行った帰り、絵が固定された壁の下方にプレートがあるのを確かめてきた。
設置から長い年月が経過し、絵の表面にはうっすらと汚れも付いている。それでも学生時代と変わらぬ場所に絵が存在していることに、ひとまずホッとした。

●宇佐美圭司「きずな」 宇佐美と交流の深かった岡崎乾二郎さんによると、大学食堂という場所を考慮し、哲学者や学者の群像を描いたラファエロ作「アテナイ(アテネ)の学堂」(16世紀、バチカン)に当たるものを意図して描かれた。宇佐美は1965年の米誌「ライフ」に掲載されたロサンゼルス・ワッツ地区の黒人暴動の写真から「走る、かがむ、うずくまる、投石する」の4つのポーズ(人型)を抜き出し、それを記号の組み合わせとして描いた一連の作品で注目されたが、「きずな」は一時期手がけていた別の絵画シリーズから「もう一度身体モデルに復帰するきっかけとなった」と本人が位置づける作品だった。

(読売新聞東京本社事業局専門委員 高野清見)

 

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