【きよみのつぶやき】第5回 松本竣介のアトリエへ(「松本竣介展 Vol.1 アトリエの時間」)

ベテランアート記者・高野清見が、美術にまつわることをさまざまな切り口でつぶやくコラムです。

「松本竣介展 Vol.1 アトリエの時間」 大川美術館(群馬県桐生市)

2018年10月13日(土)~12月2日(日)
※アトリエの再現展示は2019年6月16日(日)まで

再現された松本竣介のアトリエと、監修した次男の莞さん=大川美術館「竣介のアトリエ再見プロジェクト」

ずっと見たかった「幻のアトリエ」

美術担当の記者は、芸術家のアトリエに普段から出入りしていると思われがちだ。残念ながらそうではなく、個展を開いている画廊や美術館で、新作の絵や彫刻を見ながら話を聞くことが多い。アトリエとは思索し、作品と格闘する場であって、他人が軽々しく足を踏み入れてはいけないという遠慮もある。

そのせいか、各地の美術館で芸術家のアトリエを再現しているのを見ても、故人に断りもなく覗き見をしているようで落ち着かない。

たとえば絵本画家・いわさきちひろの自宅跡に建つ「ちひろ美術館・東京」(練馬区)の館内には忠実に再現されたアトリエがあり、茨城県近代美術館(水戸市)には屋外に水戸市出身の洋画家・中村彝(つね)の、兵庫県の芦屋市立美術博物館の屋外にも洋画家・小出楢重(ならしげ)がアトリエに使った建物が復元されている。内部には遺品や資料が置かれているが、再現展示がリアルであればなおさら本人の「不在」を強く意識してしまう。

それでも一つだけ、ずっと見たいと思っていたアトリエがある。戦後まもなく36歳の若さで亡くなった松本竣介(1912~48年)のものだ。
戦前から戦後にかけ、都会風景を透明感のある叙情とともに描いた洋画家。生前は無名に近かったが、没後に開かれた遺作展で評価を高め、今では日本の近代美術史に欠かせない存在となっている。私は大学時代の1986年に東京国立近代美術館で大規模な回顧展を見て以来、その画風と、知人たちが伝える誠実な人柄に魅かれてきた。

竣介の自宅兼アトリエは、東京の淀橋区下落合四丁目(現在の新宿区中井)にあった。老朽化ですでに解体されたが、内部の様子は竣介に師事した洋画家・中野淳さんの著書『青い絵具の匂い―松本竣介と私』(中公文庫)などに記されている。次男の建築家・松本莞(かん)さん(79)の講演会でCG(コンピューター・グラフィックス)による再現映像を見たこともあり、どのような空間であの作品群が生まれたのかと想像をめぐらせてきた。

アトリエの竣介=大川美術館提供

再現空間に「何かが降りてきた」

その「幻のアトリエ」が、竣介の作品を数多く収蔵する大川美術館(群馬県桐生市)の展示室内に、2018年10月13日~2019年6月16日の期間限定で再現された。

15畳(約50平方メートル)のアトリエにあった家具や書籍などは、禎子(ていこ)夫人(2011年、99歳で死去)と子供たちによって大切に保管されてきた。同館では竣介の没後70年と同館の開館30周年を記念し、2か月間にわたるクラウドファンディングを実施。桐生市民と全国の409人から目標額の500万円を超える748万5千円の支援を得て、松本家からイーゼル、座卓、500冊に及ぶ書籍と書棚、壺など60点を超える品々を運び、莞さんの監修によって展示した。

題して「アトリエ再見プロジェクト」。「再建」や「復元」ではなく、竣介が座っていた場所、使っていたもの、好きだったものを「再び見せる」という趣旨から、再現的な要素はソファー、北側の窓など最小限にとどめたという。

展示が始まって一週間後の10月20日、再現アトリエを前にして、莞さんと田中淳館長の公開対談が行われた。2017年8月から館長を務める田中さんは、美術史研究者として莞さんと前々から面識がある。「2日間にわたって莞さんに来ていただき、一つ一つ並べたが何かが足りない。そこで(松本家から)お借りしてきた『Y市の橋』や『自画像』を壁に掛けさせていただいた。その瞬間、空間が全然違ったものになり、鳥肌が立つ思いがした。何かが降り立ったような瞬間でした」と語った。

窓の柱には、竣介が彫った「綜合工房」の看板

 

田中館長の言う通り、作品に囲まれ、竣介の本や身の回り品に満たされた空間は、若くして亡くなった画家が「確かにこの空間にいた」と感じさせてくれた。
北向きに広く取られた窓の柱に、「綜合工房」の看板が掲げられている。竣介は文化・芸術の総合的な仕事の場としてアトリエをそう命名し、夫妻でエッセーとデッサンの月刊誌「雑記帳」を創刊した。過去の回顧展でも展示された看板だが、この場で見ると、彼の理想が一層よく伝わってくるように思えた。

同館では、1年あまりに及ぶ4回連続の企画展も始まった。最初の「Vol.1 アトリエの時間」展では、「立てる像」(神奈川県立近代美術館)や絶筆「建物」(東京国立近代美術館)など代表作を含む32点と、アトリエを訪れた画家仲間の麻生三郎、鶴岡政男、同じ岩手県出身の彫刻家・舟越保武などの作品25点を、再現アトリエと同じ空間で見ることができる。

再現アトリエと同じ展示室に「立てる像」(1942年、油彩・カンヴァス 神奈川県立近代美術館)などが並ぶ。※「松本竣介展 Vol.1 アトリエの時間」(2018年12月2日まで)に展示

幼い息子の目に映った竣介

竣介の作品は生前売れず、代表作の数々もアトリエにそのまま保管されていた。父が亡くなった時に8歳だった莞さんが、田中館長との対談で「『立てる像』は東側の壁に、額にも入れずに立てかけてあった。『画家の像』はこの辺に掛かっていましたね」と説明すると、当時の情景が目に浮かんでくる気がした。

竣介は岩手県の旧制盛岡中学に入学直後、流行性脳脊髄膜炎で聴覚を失った。それでも、話す相手が宙に指で字を書いたり、机の反対側で紙に字を連ねたりするのをそのまま読み取って答えることができた。勘の良さと、他人の口の動きから周囲の会話内容を察し、言葉を挟むこともあったという。

私は彫刻家の佐藤忠良さんから、舟越保武の家で会った竣介が「舟越! 舟越!」とやや甲高い声で呼びかけていた、とうかがったことがあるが、知人たちの回想ではあまり障害を感じさせなかったという話が多い。それだけに、莞さんが語ったアトリエでの父・竣介の姿は新鮮だった。

「食事時になると、(父を呼びに行った自分は)アトリエの中には入らないで、外にあったスイッチでオン・オフするんです。パチパチと。そうすると『おーっ』って妙な言葉で返事をして出て来てくれる。何をやっていても、絵を描いていようと本を読んでいようと、『今はこれをやっているから食事を後にする』というようなことはなかったですね。みんなの生活のペースを崩すような感じではなくて」

莞さんの話は、「絵画以前に市井に生きるひとりの人間のあり方として、家族を大切にすることが、画家としての根底にあった気がする」(中野淳『青い絵具の匂い―松本竣介と私』)という回想にも重なる。中野さんはアトリエで会う幼い莞さんの姿も書き留めている。「五歳になる子息の莞ちゃんが無邪気に走り寄って、私の隣に腰かけて父の仕事ぶりを利発な瞳でじっと見つめていた」

座卓の前に座り、父の姿を再現する莞さん。ここで読書やデッサンをしていた

 

アトリエの隅には、小さな座卓が置かれている。莞さんは「私の印象としては、ここに座っている時間がきわめて長かった」という。天板の下に製図板が差し込まれているが、「前にあぐらをかいて座ると、ちょうど自分の膝に載る。斜めになった製図板の上で、本を読んだり、ものを書いたり、それから小さいデッサンとかカットなんかは全部この上で作業をしていました」と、聴衆を前に父の姿を再現してみせた。

座卓の天板の下に、作業台代わりの製図板(左)が差し込まれている

 

田中館長が「勉強家だった」と指摘したのは、500冊を超える蔵書の多さと、哲学書も含む分野の幅広さ。莞さんは、聴覚を失い、中学も中退した父が「必然的に活字に頼って自分の知識を蓄え、何とか人に伍してやっていこうとした証(あかし)の一つではないか」と思いやった。次回の「Vol2 読書の時間」展(1月22日~3月24日)では蔵書を手がかりに、思想形成や作品の背景を探るという。

幅広い読書をうかがわせる本棚。上は「自画像」(1943年頃、油彩・板)

 

再現アトリエの展示は、2019年6月16日で終了する予定だ。しかし、企画展は「Vol3 子どもの時間」「Vol4 街歩きの時間」と12月2日まで続き、松本竣介の作品世界を多面的に紹介していく。桐生に通う1年になりそうだ。

 

大川美術館の外観。1999年3月には天皇、皇后両陛下も訪問し、大川館長の案内で松本竣介の作品「街」などを鑑賞された

※公益財団法人大川美術館 桐生市出身でダイエー副社長、サンコー(現・マルエツ)社長などを務めた実業家・大川栄二氏(1924~2007年)が1989年に開館し、長年収集した美術作品を公開。建物は企業の元社員寮を改装したもので、松本竣介の次男・莞さんが設計を担当した。竣介(油彩画18点、水彩・素描50点)と野田英夫(1908~39年)を軸とする日本近代洋画を中心に、ピカソ、ルオー、モディリアーニなど海外作品を含む約6500点を収蔵。公式サイト http://okawamuseum.jp/

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