【スペシャリスト 鑑賞の流儀】 エッセイスト・岸本葉子×「ムンク展」

【スペシャリスト 鑑賞の流儀】は、さまざまな分野の第一線で活躍するスペシャリストが話題の美術展を訪れ、一味違った切り口で美術の魅力を語ります。

今回はエッセイストの岸本葉子さんに、東京都美術館(東京・上野公園)で開催中の「ムンク展」を鑑賞していただきました。

岸本葉子(きしもと・ようこ)

エッセイスト。1961年、鎌倉市生まれ。東京大学教養学部卒業。暮らしや旅を題材にエッセイを数多く発表。俳句にも親しんでいる。近著に『50代からしたくなるコト、なくていいモノ』『エッセイの書き方』『俳句、やめられません』などがある。  公式サイト http://kishimotoyoko.jp/

◇ 

ムンクといえば「叫び」の画家という印象が強いですね。

そのユニークな姿をパロディ化した図柄も多く、人間の不安や狂気の象徴として「叫び」はあまりにも有名。正直言って、私が「叫び」のことをどれだけわかっているか、怪しい部分もありました。

「叫び」 1910年? テンペラ・油彩、厚紙 83.5×66cm

 

「ホンモノが見られる」というので楽しみにして来ましたが、まず驚いたのは「叫び」は一点だけではないということ。会場のパネルを読むと、同じ構図でテンペラ、油彩、クレヨン、パステル、リトグラフなど、さまざまな技法で何点も描かれていることがわかりました。今回展示されているのはテンペラ・油彩画。人物の背景は、私の記憶では歪んだ渦巻模様だったのですが、実際には、故郷のフィヨルド(氷河で削られた湾)が描かれ、海があり、小舟まで描き込まれていることを発見しました。

ムンクは、こう語っています。

「立ちすくみフィヨルドを眺める- 太陽が沈んでいく-雲が赤くなった-血のように     私は自然をつらぬく叫びのようなものを感じた- 叫びを聞いたと思った」

 夕陽、海、海岸線が広がる中で、赤い血が流れて、雷に打たれるように、創造の源泉をキャッチした瞬間だったのでしょう。夕陽の赤と血の赤とが共鳴し合う感じだったのでしょうか。「叫び」は、内面だけを描いたものだと思っていたのですが、外界と交錯したところに成立していたんですね。大きな発見でした。

 

会場で作品に見入る岸本さん

 

ムンクの作風は、メランコリックな題材・色調から、年を重ねて、自然や外界を対象にした明るい作品へ向かうように感じます。しかし必ずしも一方通行ではありませんね。 展示されている「叫び」は、最初の「叫び」を描いてから10数年の年月を経て、同じモチーフに戻ったとのこと。「叫び」と同じように「接吻」「吸血鬼」「マドンナ」と題した作品群も繰り返し、さまざまな技法で描き続けています。ムンクの旺盛な実験欲を感じます。

 

並外れた創作欲 

ムンクが本来持っていたエネルギーの総量は並外れて大きかったと思いました。退廃的な生活、恋愛の破局騒動、神経衰弱などに直面しても、旺盛な制作を続けていましたが、神経衰弱を病んだ時に主治医を描いた肖像画(「ダニエル・ヤコブソン」)がありました。縦2㍍、横1㍍を超える大作です。これだけの作品を描くには大変なエネルギーが必要なはずですが、心を病んでいても、肉体的、創作欲のエネルギーを持っていたということを示していました。

「ダニエル・ヤコブソン」 1908-09年 油彩、カンヴァス 204.0×111.5 cm

 

一方で、新しもの好きだった側面もあったとも思います。カメラ、映画など新技術へもすぐに反応したようです。自分を撮影した写真は、今の人たちの自撮りのハシリですよね。自分の裸まで撮っています。写真を見て自画像を描いていますが、当時、主流だった鏡ではなく写真を使っているところに、新しがり屋を感じます。

 

新しもの好き

「疾駆する馬」は、中央前面に踊るような馬が描かれ、力強い生命の躍動を感じます。周りの人物の目鼻は点で簡単に描かれていて、映像でいえば「ぼかし」のような効果。それで馬が浮き上がっていると思います。そんな技術を取り入れたのも、アンテナを張っていて、新しいものを貪欲に取り込んでいったように見えます。

「疾駆する馬」1910-12年 油彩、カンヴァス 135.5×110.5cm

 

「狂った視覚」は、眼病を患い、視覚障害が発生した時の作品。手前に血ぶくれのような塊が現れています。画家にとって視覚障害は致命的な一大事なのですが、それを逆手にとって視覚体験をそのまま描いています。普通は気持ちが萎えてしまうところなのに、その症状にさえ関心を持って、作品にしてしまう。神経衰弱的な内面的な人、というイメージとは全然違いますね。ムンクの中には、エネルギーの大きな塊がずっとあったような気がします。

「狂った視覚」1930年 油彩、カンヴァス 80.5×64.5cm

 

ムンクは「不安」「絶望」「愛と死」の画家などと呼ばれるようですが、酒に溺れたり神経衰弱になったりする画家というのは、19世紀の世紀末にありがちなことですよね。ムンクは、その世紀末の雰囲気を創作に取り込んでしまった。生まれた時代、そして生きた時代と無関係ではなかったわけです。

ただ、もっとラクな生き方もあっただろう、と思うのです。肖像画だけ描いていても、あるいは版画で効率よく収入を得るだけでもよかったはず。にもかかわらず、さまざまな技法に挑戦し、ひとところに安住しないで、常に進もうとしているように感じました。

 

実験を繰り返し、構想拡がる

 「叫び」一点からは、中原中也のような(才たけた)夭折(ようせつ)の作家、という想像しか出来ませんでしたが、実際には、長い期間にわたって、新しい実験を繰り返していたのですね。そして、同じテーマに繰り返し取り組んでいながら、まるでタネが増えていくように(構想、技法が)広がっている感じがします。しかも、一本の線の上で変わっていくのではなく、右に左にさまよいながら雪だるま式に世界が大きくなっていったイメージを受けました。

 

「自画像、時計とベッドの間」1940-43年 油彩、カンヴァス 149.5×120.5cm

自分の作品を「子どもたち」と呼んでいたと聞きました。フランス、ドイツでも知られ、晩年、ナチに「退廃芸術」として否定されたながらも、自身は故郷,ノルウェーで「子どもたち」に囲まれて過ごしています。最後の自画像「時計とベッドの自画像」は、解説には「時計とベッドという死の象徴の間に身を置いている」とありましたが、ベッドカバーの縞模様の描き方などに、変わらない実験精神を感じます。顔も、おじいさんの顔ですが、色を見ても形を見ても「いろいろやってみたい」という感じがあふれています。

終息感は感じません。

(年齢を重ねると過去の業績や体験に引きずられ、新しい試みに対して消極的になりがちですが)ムンクは、並外れたエネルギーと実験精神で、晩年まで新しい題材、技法に取り組み続けました。ムンクのエネルギー、実験欲は、「叫び」以来、最期まで一貫していたと思います。

高齢化社会を生きる私たちにひとつの指針を示しているように思います。

 「『叫び』だけじゃない」

回顧展ならではの発見でした。前よりムンクを好きになった気がします。

フォトスポット「叫びWallの前でポーズをとる岸本さん

 

(聞き手 読売新聞東京本社事業局専門委員 陶山伊知郎)

*作品はすべてオスロ市立ムンク美術館所蔵 All Photographs ©Munchmuseet

 

◇ 開催概要 「ムンク展-共鳴する魂の叫び」

世界で最もよく知られる名画の一つ「叫び」を描いた西洋近代絵画の巨匠、エドヴァルド・ムンク(18631944)の回顧展です。画家の故郷、ノルウェーの首都にあるオスロ市立ムンク美術館が誇る世界最大のコレクションを中心に、約60点の油彩画に版画などを加えた約100点で構成。

絶望、孤独、愛など人間の内面が強烈なまでに表現された代表作から、ノルウェーの自然を描いた美しい風景画、明るい色に彩られた晩年の作品に至るまで、ムンクの生涯をたどりながら、「接吻」や「吸血鬼」「叫び」など繰り返し取り組んだモティーフ、家族や友人の肖像画、鮮やかな色彩が輝く風景画など、60年に及ぶ画業を主題ごとに振り返ります。ムンク美術館が所蔵するテンペラ・油彩画の「叫び」は今回が待望の初来日となります。公式サイトhttps://munch2018.jp

 東京展:東京都美術館(東京都台東区上野公園)

20181027()2019120()

 

 

 

 

直前の記事

【壺屋めりの展覧会ちょっと深読み】第2回 「ピエール・ボナール展」の巻

名画や名品の魅力は、背景にある社会的慣習や芸術家の人間模様などを知ると一層高まります。 芸術家の駆け引きや失敗談などを紹介した「ルネサンスの世渡り術」(芸術新聞社)などの著書がある、気鋭の美術史家、東京芸術大学客員研究員

続きを読む
新着情報一覧へ戻る