【壺屋めりの展覧会ちょっと深読み】第2回 「ピエール・ボナール展」の巻

名画や名品の魅力は、背景にある社会的慣習や芸術家の人間模様などを知ると一層高まります。

芸術家の駆け引きや失敗談などを紹介した「ルネサンスの世渡り術」(芸術新聞社)などの著書がある、気鋭の美術史家、東京芸術大学客員研究員の壺屋めりさんに、美術品誕生の舞台裏やエピソードなどを「展覧会ちょっと深読み」と題して紹介していただきます。

 

オルセー美術館特別企画 ピエール・ボナール展 国立新美術館(東京・六本木)

2018年9月26日〜2018年12月17日

 

ひと月ほど前から、国立新美術館にて「ピエール・ボナール展」が開催されています。ご存知のようにボナールは20世紀のフランスの画家。わたしは仕事柄1517世紀の美術に慣れ親しんでいるので、だいぶ「最近の美術」だな、と思いながら楽しんで鑑賞しました。余談ですが、歴史研究者は専門の時代によって「最近」の感覚が大きく異なっていて面白いです。

しかし、「最近の美術」といえども、西洋美術を基礎づけたルネサンスの考え方は、20世紀の絵画にもまだまだ影響を残しています。というのも、あらゆる美術家にとって過去の美術はつねに重要な参照点となるからです。模倣したり、反発したり、現代の文脈にあてはめたりと、反応の仕方はさまざまですが、美術史に根ざした作品はいつも刺激的です。今回の展覧会の出品作にも、とりわけ興味深い作品がありました。

それは、「セーヌ川に面して開いた窓、ヴェルノンにて」と題された一枚。室内から開かれた窓を通して外の風景を眺めることができます。ボナールはこの絵を描いていたとき、盟友アンリ・マティスの「開いた窓」(1911年)というよく似た主題の絵画を購入していました。マティスは開いた窓を描いた絵を数枚制作しているので、そのうちの一枚を手に入れたのですね。

ピエール・ボナール「セーヌ川に面して開いた窓、ヴェルノンにて」1911年頃 油彩、カンヴァス 74×113cm ジュール・シェレ美術館、ニース Photo Muriel ANSSENS; Copyright Ville de Nice Musee des Beaux-Arts Jules Cheret

 

個人的な思い出話になりますが、かつてわたしがまだ大学生で美術史通史の授業を受けていたころ、担当の先生がマティスの「開いた窓、コリウール」(1905年)について、こんな解説をしてくださいました。

なんでも、「開いた窓」というのはルネサンス以来絵画そのものの性質をあらわす伝統的なモチーフで、マティスはそうしたモチーフを使いながらも、あえて一点透視図法に従わなかったり非現実的な色彩を多用したりすることによって、「絵画は単なる現実世界の模倣ではない、伝統的な絵画のルールをこれから壊していくぞ」という意思表明をしているというのです。

絵画空間のメタファーとして「開いた窓」ということばをはじめて使ったのは、15世紀イタリアの建築家・著述家レオン・バッティスタ・アルベルティです。彼は、その著書『絵画論』で、絵画の描き方について以下のような説明をしています。

「私は自分が描きたいと思うだけの大きさの四角の枠〔方形〕を引く。これを、私は描こうとするものを、通して見るための開いた窓であるとみなそう。」

絵画空間の境界を窓枠に見立て、その向こうにあたかも現実の空間が広がっているかのように描きなさいというわけですね。そしてそのような現実的な空間描写のためには、当時最新の技法であった一点透視図法がたいへん有用だったのです。

これを踏まえると、マティスのおこなったことがよく分かります。マティスの「開いた窓」は、そのカラフルな色彩と狂った遠近法でもって、絵画を現実世界に従属する身分から解放したのであり、それはより新たな表現を目指すための革命だったのです。それでは、ボナールの描く「開いた窓」はどうでしょうか。

「セーヌ川に面して開いた窓」の描写を見ると、マティスのものほど挑発的ではなく、やわらかな色彩からしても、その主眼は窓から室内にあふれるノルマンディーの陽光を描くことにあるのでしょう。しかし、連綿と受け継がれる「開いた窓」というモチーフには、美術史の積み重なりを感じずにはいられません。

展覧会図録に収録されている横山由季子氏の論考によると、ボナールはカンヴァスを木枠に張らずに、そのままピンで壁に固定して描いていたのだそうです。壁にカンヴァスを貼ってそこに景色を描いていくプロセスは、まさしく壁に窓を穿つ行為にもとらえられるでしょう。カンヴァスの縁ぎりぎりまで描くわけではなく、周りには少し余白が残りますから、その余白がうまい具合に窓枠の役割を果たしてくれます。また、「セーヌ川に面して開いた窓」も壁にピン留めして描かれたのならば、壁に穿たれた窓にまた窓があるような、入れ子状の風景に見えたことでしょう。

展覧会には多くの風景画が出品されています。絵の中の風景を眺めるのも楽しいのですが、それらの絵が白い壁に貼りつけられているところを想像し、さまざまな風景に向かって開かれた窓でいっぱいのボナールのアトリエに思いをはせてみるのも、また一つの楽しみ方なのではないでしょうか。

 

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