【スペシャリスト 鑑賞の流儀】 作家・大岡玲×「フェルメール展」

「スペシャリスト 鑑賞の流儀」は、さまざまな分野の第一線で活躍するスペシャリストが話題の美術展を訪れ、一味違った切り口で美術の魅力を語ります。

今回は作家の大岡玲さんに、上野の森美術館(東京・上野公園)で開催中の「フェルメール展」を鑑賞していただきました。

大岡玲(おおおか・あきら)

作家。東京経済大学教授。1958年、東京生まれ。東京外国語大学修士課程修了。1990年、「表層生活」で第102回芥川賞。他の作品に「ブラック・マジック」「ヒ・ノ・マ・ル」「黄昏のストーム・シーディング」(第2回三島由紀夫賞)など。父は詩人の故・大岡信さん。

 

フェルメールとその周辺にいた画家たちの作品をひとまとめに見ることで、17世紀オランダ絵画の状況がよく学べる展覧会です。当時のオランダで絵画が興隆を迎えた背景には、国力の充実がありました。それが市民ブルジョアジーと進展を共にしていたがために、一般市民が好んで買い求めた風俗画が、絵画のヒエラルキーでは上位だった歴史画、宗教画などよりも流行するようになったことが分かります。また、イタリア・ルネサンスで花開いた絵画表現が、ヨーロッパ北方のオランダに至って形を変え、近代の絵画の土台を作っていったこともうかがえます。

 

展示会場の導線もよく出来ています。肖像画や神話画・宗教画に始まり、風景画、静物画、そしてヤン・ステーンが描いた陽気な酒飲みのような風俗画の世界が広がる。フェルメール作品を8点(開幕時の点数。会期中に入れ替えがある)集めた部屋の直前には、お互いに影響を与えたり、与えられたりした同時代の風俗画家、ハブリエル・メツーやピーテル・デ・ホーホなどの作品が並んでいる。オランダ絵画の流れを追って見ることで、フェルメールと他の画家たちとの類似性と、明らかな違いが改めて分かりました。

 

ヤン・ステーン「家族の情景」 1665-1675年頃 アムステルダム国立美術館   Rijksmuseum. On loan from the City of Amsterdam (A. van der Hoop Bequest)

 

ハブリエル・メツー「手紙を読む女」1664-1666年頃 
アイルランド・ナショナル・ギャラリー Presented, Sir Alfred and Lady Beit, 1987 (Beit Collection) Photo © National Gallery of Ireland, Dublin NGI.4537

 

多くの画家たちは聖書から題材を採ったり、歴史的な戦争の風景を描いたりして、「ベタな物語化」を行いました。生のはかなさを表すドクロや火の消えたロウソク、純潔を意味するユリの花などの象徴(シンボル)を描くのもそうです。フェルメールも恋愛を示唆する楽器のリュートなどの象徴を利用していますが、彼の絵を見る時にそれらはあまり重要ではないように思えます。

 

「マルタとマリアの家のキリスト」(165455年頃)の題材は、新約聖書の「ルカによる福音書」に出てくる有名なエピソードです。イエスをもてなすのに忙しい姉マルタが、イエスの前に座り込んで話に聴き入る妹マリアに苛立つと、イエスが「マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」と語る場面を描いていますが、マルタが手に持つパンは聖書の時代のものでなく、むしろ今のパンに近い。姉妹の姿は当時のオランダの娘さんという感じです。宗教画の枠を超え、普遍的な風俗画となっています。

 

ヨハネス・フェルメール「マルタとマリアの家のキリスト」 1654-1655年頃
スコットランド・ナショナル・ギャラリー National Galleries of Scotland, Edinburgh. Presented by the sons of W A Coats in memory of their father 1927

 

フェルメールは他の画家たちと違い、描くものを最小限に絞り、注釈的な要素をそぎ落としていきました。絵の作り方は自立的で、オリジナリティーがあり、すぐれた絵画技術と密接に絡み合って既成の物語とは異なる世界を生み出しています。そして光と影の美しいコントラストの中に、登場人物の心情や精神性が映り込む。まるで19世紀フランスの小説家マルセル・プルースト※などが行った心理描写のようにさえ感じられ、小説書きの想像力を刺激してきます。

 

「牛乳を注ぐ女」(16581660年頃)は文句なし、まさに「これぞ絵画」という感じです。余計な概念を一切入れる必要がなく、絵画それ自身が自立し、質感だけで十分に見る人を引きつける。この絵にあらかじめ題材となる物語はなく、おそらく象徴となるものも描かれていません。しかし、女性が注ぐ牛乳が滴る音さえも聴こえるような世界の中に、彼女が持っていた、あるいはこれから持つであろう物語みたいなものが浮かび上がってくる。19世紀フランスの写実主義の小説家たち、たとえばバルザック※がフェルメールの絵を目にしていたかどうかは分かりませんが、こうした描写のあり方は彼らにとって重要な示唆になるものだったと思います。写実主義の本当の意味合いのようなものを、17世紀オランダにおいてすでに一つの形として完成させていたフェルメールのすごさを感じます。

ヨハネス・フェルメール《牛乳を注ぐ女》 1658年-1660年頃 
アムステルダム国立美術館 Rijksmuseum. Purchased with the support of the Vereniging Rembrandt, 1908

 

「牛乳を注ぐ女」を見つめる大岡玲さん。「牛乳が滴る音さえも聴こえるような世界から、物語が浮かび上がってくる」

 

「ワイングラス」(166162年頃)で私が気になったのは、背景に飾られた絵が何なのか分からないことでした。左側に見えるステンドグラスには「節制」を意味する手綱が描かれており、中央の絵はもう一つの重要な象徴になり得たのに、何を描いているのかも分からない。とても異様な感じを受けます。フェルメールについて色々な解説が書かれていますが、彼自身がどういう意識で絵を描いていたかは分かっていない。想像が広がる作品で、私の中にフェルメールに対する新たな興味が生まれた感じがしました。

 

ヨハネス・フェルメール《ワイングラス》1661-1662年頃 
ベルリン国立美術館 © Staatliche Museen zu Berlin, Gemäldegalerie / Jörg P. Anders

 

フェルメールが現代においても人気が高い理由の一つは、近現代の画家が自分のことをある意味、饒舌に語っているのに対し、語らないがゆえにどのような意図で描いたのか分からないところにあるのではないでしょうか。宗教画も歴史画も、象徴や引用など何ものかに寄りかかることで主題を語ろうとしてきた。しかしフェルメールは象徴や物語を使っても、類型化の枠に収まり切らず、何かはみ出している。その感覚はもしかすると私たちの時代により近いものかもしれない。今回の展覧会を見て、改めてそれが分かりました。

 

最後の部屋でフェルメール作品に囲まれた時間を過ごせたのは、非常に贅沢な体験でした。しかし見終わってみると、「やっぱり不思議な画家だよね」という印象が残ります。決して分かった気にはなれない。「光と影の画家」とよく言われますが、それだけでは単に「絵画の技術がすごかった」という話になりかねません。フェルメールは「光と影」を使って、どんな世界を作ろうとしていたのか。見る側が絵の中に引き込まれ、謎を感じてより一層引き込まれていく――。そんな構図を企んでいたのかもしれません。

 

「見終わってみると、やっぱり不思議な画家」と大岡さん

 

(聞き手 読売新聞東京本社事業局専門委員 高野清見)

 

マルセル・プルースト フランスの作家。18711922年。長編小説『失われた時を求めて』の第1巻『スワン家の方へ』で、紅茶に浸したマドレーヌの味から幼少時代の記憶がよみがえる場面が有名。

 ※オノレ・ド・バルザック フランスの写実主義の作家。17991850年。パリを舞台に世相と人間の機微を描いた『人間喜劇』『レ・ミゼラブル』などの作品がある。

 

◇開催概要 「フェルメール展」

17世紀オランダの風俗画家ヨハネス・フェルメール(163275年)の作品と、「黄金時代」と呼ばれる17世紀オランダ絵画を彩ったハブリエル・メツー、ピーテル・デ・ホーホ、ヤン・ステーンなどの作品約50点を集めた。寡作だったフェルメールの現存作品は世界中で30数点(研究者によって真作と見なす点数が異なる)しかないが、今回は東京展の会期中に計9点が出展され、日本国内で開かれるフェルメール展としては最多記録になる。公式サイト www.vermeer.jp/

 

東京展:上野の森美術館(東京都台東区上野公園)

2018105日(金)~ 201923日(日)

【フェルメール作品=9点】「牛乳を注ぐ女」、「マルタとマリアの家のキリスト」、「手紙を書く婦人と召使い」、「ワイングラス」(日本初公開)、「手紙を書く女」、「赤い帽子の娘」(日本初公開。20181220日まで展示)、「リュートを調弦する女」、「真珠の首飾りの女」、「取り持ち女」(日本初公開。201919日から展示)

※東京展は「日時指定入場制」。待ち時間緩和のために1日を6つの入場時間枠に区切っており、事前に日時を選んで入場券を購入する。入場後の鑑賞時間に制限はない。入場券の購入方法は公式サイトで。販売状況は公式ツイッター(@VermeerTen)で確認できる。

 

 

大阪展:大阪市立美術館(大阪市天王寺区)

2019216日(土)~2019512日(日)

【フェルメール作品=6点】「マルタとマリアの家のキリスト」、「手紙を書く婦人と召使い」、「手紙を書く女」、「リュートを調弦する女」、「取り持ち女」、「恋文」(大阪展のみ展示)

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