名古屋ボストン美術館が残したもの 【きよみのつぶやき】第3回

名古屋ボストン美術館(名古屋市中区金山町)が10月8日で閉館し、20年にわたる活動を終える。かなり前から予期されていたこととはいえ、今年の美術界で残念な出来事の一つだった。
9月中旬、夏休みを利用して最後の展覧会「ハピネス~明日の幸せを求めて」(2018年7月24日~10月8日)を見に行った。JR・地下鉄・名鉄の3路線が通る金山駅を降り、南口の再開発ビルに入っている美術館へ。3階のチケット売り場で行列に並ぶと、横のガラス壁にメッセージがびっしりと貼られていた。展示室の出口にハート形をした色とりどりの紙が置かれており、鑑賞を終えた来場者が書いたものを次々に掲示しているようだった。
そこに記された言葉は、名古屋ボストン美術館が果たしてきた役割を伝え、後に残していくものとは何かを教えてくれるように感じた。
まずは「美術で勉強した作品があってうれしかった」「初めて有名な絵を生で見た」「浮世絵のすばらしさを教えてもらった」と、本物の美術に接した感動を語る言葉の数々。印象に残った展覧会名を挙げるものも目立った。
家族や友達と訪れた思い出を書く人もいた。「展覧会は家族の思い出と結びついている」「母親の誕生日に毎年集まり、展覧会を見てランチを楽しんだ」。「子どもの頃から数え切れないほど観に来ていました」と書いた人は、最初は親に連れられて訪れ、成長すると自分の意思で足を運んだのだろう。
「美術館ができたおかげで街が文化的に変わった」「立地が良く、ふらりと訪れることのできる貴重な場所だった」という言葉は、街の中にある美術館が人々の生活や文化と深く関わっていたことをうかがわせた。

東京に戻り、美術館の広報部に連絡して活動記録をまとめた小冊子や、入場者数などのデータを送ってもらった。
同館は名前の通り、米ボストン美術館の姉妹館として1999年4月、金山駅前の再開発ビル3~5階にオープン。自前のコレクションは持たず、ボストン美術館の所蔵品を中心に紹介してきた。
設立構想が始まったのはバブル経済の時代。古代エジプトから印象派、浮世絵・仏像などの日本美術まで幅広いコレクションを誇るボストン美術館が、所蔵品の修復費用などの資金を求めていたのに対し、「中部圏の文化向上、国際交流に役立てたい」と地元財界が海外で初となる姉妹館提携に応じた。1991年10月、名古屋商工会議所が美術館の設立準備委員会設置を決定し、翌11月に同委員会と米ボストン美術館が覚書を調印した。
しかし、「平成の不平等条約」とも揶揄された巨額の寄付金支払い条件が重荷となり、スタート当初から経営は苦しかった。地元の大手企業から集めた寄付金と、愛知県と名古屋市から借りた経営安定化資金を活用して赤字を埋める計画は、不況に伴う超低金利や円安であっさり目算が外れた。同館を運営する名古屋国際芸術文化交流財団は2016年5月25日の理事会で、今年度末までの契約を延長しないことを決定。同日の記者会見で発表した。
私は2004年に文化面で担当した連載企画「ミュージアムの現在」で実情を取材したが、その当時も財団は年間5億円に達する赤字を圧縮するため、経費削減と資金集めに追われていた。20年の契約満了を待たず、運営が頓挫するのではないかと危ぶんだほどだ。
そうした深刻な台所事情を気にしながらも、出張や個人旅行で展覧会を見に行くのは楽しかった。20世紀のアメリカを代表する女性画家ジョージア・オキーフを核とする「オキーフとその時代」展(2004~2005年)や、17世紀オランダの画家レンブラントのエッチングを120点近くも一堂に紹介した「レンブラント版画展」(2007年)など、「さすがボストン美術館のコレクション」と思わせる展覧会に出会い、文化面に紹介記事も書いた。
部外者の立場で勝手なことを言えば、せっかく地元の熱意で開館した美術館を、もっと多くの人が訪れ、盛り立てることは出来なかったのか、という思いも残る。
こけら落としの企画展「モネ、ルノワールと印象派の風景」と常設展「古代地中海世界の美術」には初日から300人が行列を作り、会期中に44万8000人(1日平均で3200人)が訪れたという。しかしその後、この入場者数を超える展覧会はついになかった。ボストン美術館が誇るゴーギャンの大作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」を日本で初公開して話題を呼んだ「ゴーギャン展」も、会期が短かったせいもあるが15万806人に留まり、総入場者数では第4位だった。
1位 1999年 「モネ、ルノワールと印象派の風景」 44万8031人(開催日数140日、3200人/日)
2位 2012年 「日本美術の至宝」展 26万4992人(開催日数137日、1934人/日)
3位 2002年 「ミレー展」 15万5503人(開催日数146日、1065人/日)
4位 2009年 「ゴーギャン展」 15万806人(開催日数56日、2693人/日)
開かれた展覧会は計61回で、そのうちボストン美術館のコレクションで構成した展覧会は49回。2005年からはボストン以外の作品による独自の企画展も行ってきた。美術館の広報部では「里帰りを果たした日本美術の展覧会などでは、日本の研究者からの視点も加わり、日本・名古屋を拠点にして、MFA(ボストン美術館)側に新たな作品情報を提供できたのではないかと思います」と意義を指摘する。また、ボストン美術館から作品輸送に同行するクーリエとして来日した絵画修復家たちとの交流を通じ、日本美術の展示方法などの情報交換なども行われたという。
ボストン美術館のマシュー・テイテルバウム館長は、「ハピネス」展の図録に寄せたメッセージで「展覧会では、1200点以上の作品を修復しつつ、ボストン美術館のコレクションを紹介し、40冊以上の展覧会カタログも制作しました」と記し、姉妹館提携による学術的な研究や教育普及活動、保存修復などの成果を挙げている。
名古屋ボストン美術館が地域の将来に向けて残した最も大きな足跡を指摘するなら、さまざまな教育普及活動だろう。ボストンと名古屋の子どもたちがアートを通じて交流した「日米アート交流プログラム」や、「視覚障がい者向けプログラム」。2004年から小中学生を入場無料とし、2007年には大学などと連携した学校法人賛助会制度を導入して地元の60校あまりが参加した。これは加盟校の学生なら学生証の提示で無料観覧できる制度だ。高校生も昨年3月から平日午後5時以降を無料とした。
バブルが生んだ一時の夢、と言ってしまっては身も蓋もない。ボストン美術館のすぐれたコレクションが20年近くも名古屋で展示されてきたことは、地元の人々に長く記憶され、有形・無形の影響を与え続けるだろう。その「経済効果」は計り知れないほど大きなものだと信じたい。