
美術展ナビ×太田記念美術館コラボ企画【いろはde浮世絵】第7回「いろはの㋣」――東洲斎写楽、浮世絵の世界で最大のナゾ(?)
東洲斎写楽は、ナゾの多い絵師である。 まず、登場の仕方が突然だ。 写楽の名前が世に出たのは、寛政6年(1794)5月。江戸の都座、桐座、河原崎座の3座で上演された歌舞伎狂言に出演している役者の似顔絵が一挙に28図も出版さ
東洲斎写楽は、ナゾの多い絵師である。 まず、登場の仕方が突然だ。 写楽の名前が世に出たのは、寛政6年(1794)5月。江戸の都座、桐座、河原崎座の3座で上演された歌舞伎狂言に出演している役者の似顔絵が一挙に28図も出版さ
アートに詳しいワンちゃんのハカセくんと、アートファンのNARIさんが、ときめくアートとの出会いを求めて、全国の展覧会や美術館を訪れます。2人はどんなアートにときめくのでしょうか。さあ、2人と一緒に、素敵なアートと出会いに
江戸時代の人々、特に庶民は性に関してとても大らかだったようだ。 〈日本人は好色です。それは日本の精神風土が長いこと性に対して積極的かつ開放的であった為です〉と「ポルノ」(『杉浦日向子ベストエッセイ』に収録)で書くのは、江
亜熱帯の花鳥や風土を独特のタッチで描き、没後に劇的な再評価を受けた一村。今や指折りの人気作家と言ってよいでしょう。ちょうど岡田美術館(箱根)では「若冲と一村」展が開催(6月4日まで)されています。 まさに「追随を許さない
濃尾平野にそびえる標高約86メートルの小牧山。犬山城から眺めても、岐阜城から眺めても、平野の真ん中にそこだけこんもりと盛り上がっているのがよくわかる。 織田信長が清洲からこの小牧山に居城を移したのは、永禄6年(1563)
浮世絵版画の制作は、集団分業体制である。絵師は版下絵を「描くだけ」であり、その絵を彫師が山桜の木の板に彫り、摺師が指定された色で摺る。もちろん版下絵の善し悪しは、浮世絵版画の出来不出来を決定する大きな要素ではあるが、〈そ
山城だからこそ残された天守 建つのは標高430メートルの山上。江戸時代としては異例の山城であったことが、備中松山城(岡山県高梁市)の天守がいまに残るうえで幸いした。明治6年(1873)に廃城になると、藩主の居所と政庁
徳川家康(1542~1616年)が天下人に登りつめるまでの道のりを、令和の今もたどることができる古戦場や旧跡、史跡などを探訪するシリーズ。3回目は、「どうする家康」の第2話で話題となった徳川家康の生年について、最新の歴史