
美術展ナビ×太田記念美術館コラボ企画【いろはde浮世絵】第29回「いろはの㋳」――闇を彩る江戸の名物
橋の上 玉屋玉屋の声ばかり なぜに鍵屋といわぬ情なし 江都の夏の風物詩となっている隅田川花火大会。墨田区のホームページによると、その歴史は八代将軍・徳川吉宗の時代にまで遡るという。享保18(1733)年5月、飢饉と疫病の
橋の上 玉屋玉屋の声ばかり なぜに鍵屋といわぬ情なし 江都の夏の風物詩となっている隅田川花火大会。墨田区のホームページによると、その歴史は八代将軍・徳川吉宗の時代にまで遡るという。享保18(1733)年5月、飢饉と疫病の
平安時代の武将・源頼光は人ならぬものに対する武功で有名だ。渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武の「四天王」を従えて酒呑童子を討伐し、土蜘蛛を成敗。その物語は江戸の人々にはおなじみだった。上の錦絵は、病で伏せる源頼光を警護
フランス・パリに生まれたポール・ジャクレー(1896~1960)は、3歳の時に来日し、64歳で亡くなるまで日本で暮らした。昭和9年(1934)、38歳の頃から、南洋やアジアで暮らす人々を描いた木版画を続々と刊行。昭和前期
江戸の人気者といえば「三男」、「さんなん」ではなく「さんおとこ」と読む。 火事と喧嘩は江戸の華。そう言われるぐらい火災が多かった江戸の街。いち早く火災現場に駆けつけて消火活動にあたる「火消し」は頼りになる存在だった。同じ
日本人は花が好きである。その代表が桜だ。花は桜木人は武士。パッと咲いてパッと散る「潔い」姿に「刹那の美」を感じていたのだろうか。その桜を愛でる「花見」は、江戸時代から盛んだった。 東京・王子の飛鳥山は八代将軍徳川吉宗が1
宗教上の理由から、昔の日本人は獣の肉を食べなかったと言われているが、例外もあったようだ。看板に書かれている「山くじら」とはイノシシの肉のこと。特に寒い冬の夜などは、「薬っ食い」といって鍋をつつき、体を温め、栄養を取った人
ニッポンの芸能の歴史は、アイドルの歴史でもある。 江戸川大学の西条昇教授からそんな話を聞いたのは、いつのことだっただろうか。明治、大正期に大流行した女義太夫には「どうする連」という熱心なファンがいて、物語が佳境に入ると「
むざんやな甲の下のきりぎりす 松尾芭蕉が北陸路、小松(現在の石川県小松市)を訪れたのは、元禄2(1689)年7月24日のことだった。翌25日、多太八幡宮神社に詣でた芭蕉が斎藤別当実盛の兜や鎧を拝観し、詠んだのがこの一句で
江戸時代、庶民にとって神仏は身近な存在だった。信仰は日常生活の中にあり、神社仏閣は崇拝の対象であるとともに、その土地を代表する名所旧蹟でもあった。「人が多く集まる場所だった寺社仏閣は、古くから『名所絵』に描かれる対象でし
安政2(1855)年、旧暦の10月2日。昼間は霧雨が時々降っていたが、夜には止んでいたという。そして午後10時ごろ、大地が大きく揺れた。 《須臾しゅゆにして大厦高牆たいかこうしょうを傾倒し、倉廩そうりんを破壊せしめ、剰あ