みどころ

Iパリ・オランジュリー美術館コレクションによる21年ぶりの展覧会

同館の所蔵作品のほとんどは常設展示されており、館外にまとめて貸し出されることは極めて稀です。過去には1998年に「パリ・オランジュリー美術館展」が東京ほか全国5会場で開催され、計100万人以上を動員しました。今回日本では21年ぶりに珠玉のコレクションを一望できます。

IIルノワールの代表作《ピアノを弾く少女たち》が来日

《ピアノを弾く少女たち》は、ルノワールの作品の中でも最も有名なもののひとつ。オランジュリー美術館蔵のこの愛らしい作品は、晩年までルノワールのアトリエに保管され、作家没後の1928年にポール・ギヨームが収集したものです。

IIIパリに恋した画家たち13作家の名品が一堂に

本展では印象派の巨匠ルノワールをはじめ、マティス、ピカソなど芸術の薫り高いパリに集い、新しい絵画表現の探究に魂を捧げた13人の画家たちを紹介します。本コレクションに含まれるのは、19世紀末から20世紀前半というフランス近代美術が花開いた重要な時期の名品です。

IVコレクションをめぐる画商ポール・ギヨームと妻ドメニカの物語に注目

ポール・ギヨームは、既に評価の定まった画家たちだけでなく、当時無名だった若い作家たちも画商として積極的に支援しました。そして、自分の美意識にかなった作品を収集し、美術館をつくることを夢見ました。ポールは若くして亡くなりますが、妻のドメニカはその遺志を受け継ぎ、最終的に「ジャン・ヴァルテル&ポール・ギヨーム コレクション」としてフランス国家に譲りました。本展では、コレクターの美術館設立への夢や、画家たちとの友情の物語に注目します。

幸せな音楽が画面から聞こえてくる。ルノワールの代表作《ピアノを弾く少女たち》が来日。

オーギュスト・ルノワール 《ピアノを弾く少女たち》 1892年頃、油彩・カンヴァス、116.0×81.0cm Photo © RMN-Grand Palais (musée de l'Orangerie) / Franck Raux / distributed by AMF
Photo © RMN-Grand Palais (musée de l’Orangerie) / Franck Raux / distributed by AMF

オーギュスト・ルノワール

《ピアノを弾く少女たち》1892年頃、油彩・カンヴァス、116.0×81.0cm
本作はルノワールの代表作のひとつです。政府からリュクサンブール美術館のための作品を依頼されたルノワールは、ピアノの前に座る二人の少女をテーマに少なくとも6点を制作したといわれます。そのうち国家が買い上げた作品は、現在オルセー美術館に収蔵されています。オランジュリー美術館蔵の本作は、晩年まで画家のアトリエに保管され、没後の1928年にポール・ギヨームが収集したものです。伸びやかで柔らかい筆致によって画面全体を美しい色彩の調和で満たしています。顔を寄せ合い楽譜をのぞき込む少女たち。画面からピアノの音色と少女たちの声が聞こえてくるようです。

オランジュリー美術館とは

オランジュリー美術館
オランジュリー美術館は、19世紀後半から20世紀初頭のフランス美術を収蔵・公開するフランスの国立美術館です。2010年よりフランス国立公益法人オルセー美術館と同じ組織になり、オルセー美術館のコレクションを補完する役割を果たしています。 美術館の建物は、19世紀中頃にチュイルリー宮の庭園に建てられたオレンジ温室を改装したものです。1920年代にモネが「睡蓮」の大型連作を国に寄贈する際、外光のもとで鑑賞できる場所としてオランジュリーが選ばれ、二つの楕円形の展示室が作られました。1960年代には、国家が購入した「ジャン・ヴァルテル&ポール・ギヨーム コレクション」がオランジュリー美術館で公開されることになり、睡蓮の間の天窓を塞ぐように2階に展示室が設けられました。その後、2000年から2006年にかけての改修工事により、「睡蓮」の連作を外光のもとで鑑賞できるように2階部分が撤去され、ヴァルテル&ギヨーム コレクションのための常設展示室と企画展示室が新たに地下に作られて現在の姿となりました。 現在オランジュリー美術館は、印象派とエコール・ド・パリの珠玉のコレクション、モネの「睡蓮」連作、そして斬新な企画展の三つの魅力を楽しめる、パリを訪れる美術ファン必見のスポットとなっています。
オランジュリー美術館 内観

ポール・ギヨームとドメニカ夫人の物語~画商コレクター 邸宅美術館の夢~

フォッシュ通りのギヨーム邸宅の様子(1932年頃)
フォッシュ通りのギヨーム邸宅の様子(1932年頃)
フォッシュ通りのギヨーム邸宅の様子(1932年頃)
オランジュリー美術館所蔵品の核をなす「ジャン・ヴァルテル&ポール・ギヨーム コレクション」は、ヨーロッパの中で最も質の高い印象派とエコール・ド・パリの作品群のひとつ。 このコレクションの基礎を築いたのは、才気あふれるフランスの画商ポール・ギヨームです。彼は自動車修理工場に勤めていた時に、アフリカからの輸入品の中にガボンの仮面を発見。それを工場のショーウィンドウに飾ったことで、詩人のギヨーム・アポリネールの目に止まり、前衛芸術家たちとの親交が始まりました。まもなくアフリカ彫刻のブローカーとして商いを始めたギヨームは、1914年にはアフリカ芸術のみならず同時代の美術を扱う画廊を開設しました。 彼はモディリアーニやスーティンら、当時は評価が確立していなかった画家たちも積極的に支援しました。そして、アメリカの富豪バーンズにフランスの前衛美術を売り込むことにも成功します。彼は、自身のコレクションも築き、自邸を美術館とする構想も抱きましたが、その夢を実現することなく42歳で死去しました。ギヨームの没後、コレクションの所有権は妻ドメニカ(本名ジュリエット・ラカーズ)に引き継がれました。 ドメニカは、ほどなく養子を迎え入れるとともに、有名建築家のジャン・ヴァルテルと再婚します。そして自分の好みに応じて前衛的な作品を中心に200点余りを売却し、より古典的で調和のとれた温厚な画風の絵画をコレクションに加えました。さらにヴァルテルが事故で亡くなると、養子との不仲により生じた暗殺未遂の訴訟問題というスキャンダルによって世間の注目を浴びました。 彼女は最終的にヴァルテルとギヨームの二人の名前を冠することを条件とし、1950年代以降、コレクションを国家に売却。このコレクションは彼女の没後、オランジュリー美術館に常設展示されるようになりました。

【ポール・ギヨーム(1891-1934)】

Photo ©RMN-Grand Palais (musée de l'Orangerie) / Archives Alain Bouret, image Dominique Couto / distributed by AMF
Photo ©RMN-Grand Palais (musée de l’Orangerie) / Archives Alain Bouret, image Dominique Couto / distributed by AMF
1891(0歳): パリの一般庶民の家庭に生まれる。
1908(17歳): 勤務先の自動車修理工場でアフリカから届いた荷物の中にガボンの仮面を発見。工場の窓に飾り、アポリネールの目に止まる。若手芸術家たちとの親交が始まる。
1914(23歳): パリに画廊を開く。
1918(27歳): 雑誌『パリの芸術』を創刊。
1920(29歳): ドメニカと結婚。
1934: 死去。(享年42歳)
1941: ドメニカが建築家ジャン・ヴァルテルと再婚。
1957: ヴァルテル死去。
1959/1963: コレクションが2回に分けて国家に売却される。
1977: ドメニカ死去。
1984: オランジュリー美術館でのコレクションの常設展示が始まる。
アメデオ・モディリアーニ 《新しき水先案内人ポール・ギョームの肖像》 1915年、油彩・合板に貼った厚紙、105.0×75.0cm Photo © RMN-Grand Palais musée de l'Orangerie) / Hervé Lewandowski /distributed by AMF
Photo © RMN-Grand Palais (musée de l’Orangerie) / Hervé Lewandowski /distributed by AMF

アメデオ・モディリアーニ

《新しき水先案内人ポール・ギヨームの肖像》1915年、油彩・合板に貼った厚紙、105.0×75.0cm
この作品は、モディリアーニがギヨームをモデルに描いた4点の肖像画のうちの第1作目。画面には画商の名前のほか、「ノヴォ・ピロータ(新しき水先案内人)」、「ステラ・マリス(海の星、聖母マリアを暗示する)」、そしてダビデの星などが描き込まれています。ギョームは当時若干23歳でしたが、画家にとっては先行きが不安な人生に指針を与え、希望をもたらす存在であったのでしょう。

暗殺疑惑もかけられた謎多き美女 ドメニカ夫人はどう描かれた?

マリー・ローランサン 《ポール・ギョーム夫人の肖像》 1924-28年頃、油彩・カンヴァス、92.0×73.0cm Photo © RMN-Grand Palais (musée de l'Orangerie) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF
Photo © RMN-Grand Palais (musée de l’Orangerie) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

マリー・ローランサン

《ポール・ギヨーム夫人の肖像》1924-28年頃、油彩・カンヴァス、92.0×73.0cm
1920年にギヨームと結婚したドメニカは、その華やかな顔立ちや気の強い性格によりモンパルナスの社交界や美術家たちのサークルの中でも目立つ存在でした。本作は彼女が26歳の時の肖像画で、大きな瞳とすっとした鼻筋に、聡明さを感じさせる彼女の美貌がよく捉えられています。
アンドレ・ドラン 《大きな帽子を被るポール・ギョーム夫人の肖像》 1928-29年頃、油彩・カンヴァス、92.0×73.0cm Photo © RMN-Grand Palais (musée de l'Orangerie) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF
Photo © RMN-Grand Palais (musée de l’Orangerie) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

アンドレ・ドラン

《大きな帽子を被るポール・ギヨーム夫人の肖像》1928-29年頃、油彩・カンヴァス、92.0×73.0cm
ローランサンによる女性的で柔らかい印象の肖像画とは対比的に、この肖像画からはドメニカ夫人の芯の強さが伝わってきます。国家へのコレクション売却の前後には、養子の暗殺をめぐるスキャンダルで世間を騒がせ、彼女のプライベートにまつわる様々な噂が飛び交いました。本作は彼女が30歳頃に描かれましたが、既にそのミステリアスな一面をうかがわせます。