コラム 

藤原えりみコラム 「100年以上経っても“腰巻き”事件」

オーギュスト・ロダン《接吻》 1901–4 年 ペンテリコン大理石 Purchased with assistance from the Art Fund and public contributions 1953, image © Tate, London 2017

 

西洋美術史の流れからコンテンポラリーアートまでを視野に収めつつ、社会的テーマと絡めた執筆を行う美術ジャーナリスト・藤原えりみ。〈ヌード〉についての講演も多数ある氏が選んだのは、〈ヌード〉を観ることにつきまとう、センセーショナルなニュース性。いつの時代も、〈ヌード〉は人を魅了し、人を混乱させる。

第一次世界大戦中、ロンドン――

 

マティスやピカソ、ドガ、ヘンリー・ムーアなどを含め、18世紀から20世紀に至る裸体作品で構成される「ヌード」展。なかでも注目すべきは、日本初公開となるロダンの大理石像《接吻》だ。主題は、イタリア・ルネサンス期の詩人ダンテの『神曲「地獄篇」』に描かれた兄の妻フランチェスカと恋に落ちた弟パオロの悲恋物語。ロダンは《地獄の門》の一部の浮き彫りとして制作を進める。ところが《地獄の門》の構想はなかなか固まらず、長い年月の間に、《考える人》と同じく《接吻》も丸彫り彫刻として独立した作品となっていく。現在パリのロダン美術館の所蔵である大理石像《接吻》は1898年にパリで開催された官展の「サロン展」に出品されたもので、若い男女の感情の高まりを表現した作品として高い評価を獲得。好事家たちの所有欲を刺激したのだろう。即座に数多くのブロンズ像が制作されたという(1917年までに300体も!)。

 

本展に出品される《接吻》は、当時イギリスに住んでいたアメリカ人アートコレクターのエドワード・ペリー・ウォーレンがロダンに特注したヴァージョンで、1904年にウォーレンの手元に届いたものだ。ところが……この《接吻》のその後の顛末が実に興味深い。特注されたのだが、大きすぎたのかどうしてか、ウォーレンの自宅に設置できず、しばらくはウォーレンの厩に置かれていた。そして第一次世界大戦中、ウォーレンが住んでいたロンドン南東部の街ルイスの市庁舎の集会所に展示されることに。折しもこの街には兵士の一隊が駐屯していた。大胆な男女の交情を造形化した作品が若者を刺激して、良からぬ事態が起こるのではないかという市民の訴えにより、《接吻》は柵で囲われた上にシートで覆われてしまった。

2年後にウォーレンの元に戻されたものの、空爆を恐れて藁で覆われ、納屋に収納されたままに。1928年のウォーレンの死後も買い手がつかず、テートの所蔵となったのは、なんと1953年のこと。実はこの作品、ロダン美術館所蔵のオリジナル作品と微妙に異なる箇所がある。それは男性性器。同性愛者であったウォーレンは、オリジナルではぼかされていた男性性器をしっかりとつくることを条件にロダンに発注したという。今回の「ヌード」展は、ロンドンに行かずして、それを確認できる絶好の(!)機会となるのだ。

* * *

明治中期、そして大正後期、上野――

さてこの《接吻》、実は日本でも物議を醸していた。時は1924年(大正13年)5月、所は上野。國民美術協會主催の「仏蘭西現代美術展」に出品予定の(おそらくはブロンズ像であると思われる)《接吻》に対して、警視庁が撤去命令を下す事態が発生。フランス大使館が外務省に抗議したため、「特別室」での展示となるのだが、美術の専門家ではない一般観客は見ることができなかったという。現在でも性的なテーマを扱った作品を美術館で展示する際には、注意を喚起するパネルを用意したり解説員を置いて説明したりするなどの配慮が成されているが、この「特別室」は今よりもシバリがキツかったようだ。そして「特別室」という発想の始まりは、さらに時を遡る。

 

時は1901年(明治34年)、所は第6回白馬会展。2年前にフランスでは好評を得ていた《朝妝》(明治26年・焼失のため現存せず)を内国勧業博覧会に出品して「裸体画論争」を引き起こしていたにも関わらず、黒田清輝は外国人モデルが毛皮の上に足を崩して坐るポーズをとった《裸体婦人像》を出品した。ところが、劣情を刺激し公序良俗を乱すとして、黒田作品だけでなく湯浅一郎、パリに留学していた黒田の師であるラファエロ・コラン作品も摘発される。警察は一般観客の入れない「特別室」での展示を要求するも、黒田らはこれに抵抗。あくまでも一般公開する方針から生まれた妥協案が、腰から下を布で覆うというものだった。日本の近代美術史上に記された「腰巻き事件」である(第8回展では特別室が設けられ、裸体画は一般観客から遠ざけられたという)。

 

江戸時代の日本には春画を初めとして、女性の入浴図など、性的な主題を描いた浮世絵が浸透していた。だが、よく考えてみれば、浮世絵の大きさからして、春画も入浴図も、独りか、あるいはごく限られた人々で構成されたプライヴェートな環境で鑑賞されていたわけで、子供や女性も含めて不特定多数の人々が集う「展覧会」という「公共の場」において、裸体画や裸体彫刻が展示されるという事態は明治時代になって初めて起きたこと。それまでは褌ひとつで働く肉体労働者や人前でも片肌脱ぎで授乳する女性もいたし、銭湯では男女混浴が当たり前であったにも関わらず、明治政府はこうした習慣を厳しく取り締まるようになっていく。お互いの裸を直視しない(あるいは目に入っても性的な関心の埒外に置く)という日本人独特の生活感覚を無視して、西洋列強に対して文明国であることの証としたかったのだろうが、なんともちぐはぐな経緯である。

 

藤原えりみさん

 

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現在――
SORRY, 100 years old but still too daring today.

黒田の腰巻き事件から100年以上経った21世紀の現在。芸術作品と裸体との関係と社会的な評価判断はいかなるものになっているだろうか。実は……これがほとんど変わっていないのだ。男女に限らず裸体イメージが公共の場に氾濫することを厭う人がいる以上、「芸術であれば何でも許される」などという主張は通らない。それは十分承知しているのだが、「人間って本来素っ裸で生まれてくるじゃないか」と呟きたくもなる。

そして――。黒田の腰巻き事件から100年以上経た現代の日本で、再び腰巻き事件が起きた。それは「これからの写真」展(愛知県美術館、2014年8月1日~9月28日)。性的多様性の認知が求められる現在、美術でも男女の自由な交流をテーマとする作品に触れる機会も増えてきた。1963年生まれの、写真を用いる鷹野隆大氏もまたそうした表現を追求するアーティストの一人だ。だが……、この時展示された男性二人が寄り添う写真作品に性器の一部(それもほんのわずか)が見えることを理由に、警察は作品の撤去を要求。鷹野氏の展示コーナーの前には布を張り、注意喚起パネルを置いて解説員も配置していたという。だが、キュレーターがわいせつ物陳列罪で逮捕されかねない事態にまで発展。「作品撤去、あるいは別の作品に差し替えも検討したけれど、それは没後作家でも可能な対応。僕はまだ生存中なので第3の道を考えた」と鷹野氏。そして、その解決方法が実にエレガントだった! 問題となった作品のひとつに白い布を巻き付けたのだ。それも黒田の時よりも上半身にかかる形で。なおかつ布地がうっすらと透けている。こうすることで、この二人がベッドに寝ているような印象さえ生まれるというラディカルさ。素晴らしい……。

 

 

さらに昨年秋。こちらはロンドンでの出来事。2018年はオーストリアの近代美術を代表する画家の一人エゴン・シーレの没後100年となるため、オーストリアではさまざまな展覧会やイベントが企画されている。その広報の一環としてウィーン市観光局がロンドンの地下鉄に貼ったポスターが騒ぎのもとに。シーレといえば、男女含めて赤裸々な裸体を造形化したことで知られる。今回のポスター3点にもばっちり性器が。ウィーン市観光局の担当者は「100年も経っているわけですし、身体について考えて欲しいと思ったのですが」と。しかし、プロテスタントの禁欲的倫理観の根強いドイツとロンドンでは拒否された。で、その解決作がやはり腰巻き方式。しかもその腰巻きには「100年経っても大胆でゴメンなさい」というコメントつき。そうなのだよね。エレガントさとユーモアなくしては、何事も通用しないわなあと、思わず感嘆してしまった。

今回の「ヌード」展は、西洋の伝統的な「理想の裸体イメージ」が「ありのままの裸の有り様」へと変換していくスリリングな時代に焦点が当てられている。それは、人間と社会、人間と自然との関係に大きな変化が起きた時代でもある。サイボーグ技術やAI技術によって、生命と科学技術との関係がさらなる変革を迎えている今だからこそ、私たちは自らの身体感覚を研ぎ澄ます必要があるのではないだろうか。個人的には、いわゆるジャコメッティ的な極細人物像以前のジャコメッティ作品《歩く女性》に興味津々。直立したウナギのような、なんとも奇妙なヌルっとした造形なのだけれど、古代エトルリア彫刻からの影響が濃厚にうかがえる逸品。時間をかけてじっくりと向き合ってみたい。

 

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〈藤原えりみプロフィール〉 1956年、山梨県生まれ。美術ジャーナリスト。東京芸術大学大学院美術研究科修了(専攻/美学)。女子美術大学・國學院大学非常勤講師。著書に『西洋絵画のひみつ』(朝日出版社)。訳書に、C・グルー『都市空間の芸術』(鹿島出版会)、M・ケンプ『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(大月書店)、C・フリーランド『でも、これがアートなの?』(ブリュッケ)など。共著『西洋美術館』『週刊美術館』(小学館)、『現代アート事典』『ヌードの美術史』(美術出版社)、『現代アートがわかる本』(洋泉社)、『チームラボって、何者?』(マガジンハウス)。雑誌『和樂』(小学館)、『美術手帖』(美術出版社)などでも執筆。

 

 

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