インタビュー

「ヌード」展で何を観る? 横浜美術館館長・逢坂恵理子が語る。

逢坂恵理子 横浜美術館館長

 

〈ヌード〉という、芸術表現のなかでも、とりわけデリケートなジャンルに挑む横浜美術館。メッセージ性の強い作品も多く、普段の展覧会とは見せ方だけでなく、館としての心構えも違うのではないか――館長・逢坂恵理子に、開催への意気込みや見どころを聞いた。

裸体像をめぐる日本と西欧の価値観

 

――本展は、18世紀から現代にいたる200年間の西洋美術の裸体表現の展開を追う、壮大な規模の展覧会ですね。

 

逢坂 今回の展覧会のため、久しぶりにケネス・クラークの研究書『ザ・ヌード 理想的形態の研究』を読んでいます。古代ギリシアから20世紀半ばまでのヨーロッパにおける裸体表現の歴史をひもといたこの本のなかで、西欧的な〈ザ・ヌード〉は、日本や中国の文化とは異なるものだと説いています(※1)。でも、クラークが本書を上梓してから半世紀以上の時が経ちました。21世紀に入った今、日本でも裸体や身体イメージついての受け止め方が変わってきているのではないでしょうか。

 

 

――世界巡回展として、アジアオセアニアの大都市で開催されている本展。日本での会場が、ここ横浜ということに意味はありますか?

 

逢坂 1859年の開港以前は、横浜は100軒しかない小さな漁村でした。開港というドラスティックな変化を起点に、西洋の異文化を受け入れる窓口として近代化に歩調を合わせ、西欧の概念や情報や技術を受け入れ、人の交流によって発展してきました。異文化を積極的に取り入れてきた横浜だからこそ、日本人にとっては馴染みの薄い概念ではあっても、今改めてヌード展を開催する意味があるのではないかと思っています。出品作品の多くは、横浜港が開港した時代と重なる19世紀に制作されたものです。19世紀の後半は、日本もまた果敢に欧米の新しい政治・文化を受容した時期でした。黒田清輝のように西洋美術に学びつつも、ただ技術をまねるだけではなく、裸体像に託された考え方や理念をいか理解するべきかという課題に、日本の芸術家たちが取り組み始めた時代でもありました。

 

 

――西欧で絵画芸術を学んだ黒田清輝の作品が糾弾されたことをキッカケとした、裸体画論争もありましたね(※2)。

 

逢坂 黒田清輝《裸体婦人像》(明治34年、静嘉堂文庫美術館蔵)も劣情を刺激するという理由で、描かれた女性の下半身部分が布で覆われるという「腰巻事件」がありました。実は、本展の目玉作品のひとつであるロダン《接吻》も、イギリスでは刺激が強すぎると抗議があり、布で覆われてしまったという事件があったそうです。興味深いですね。

 

 

――そのロダン作品、一体どこに展示されるのでしょう?

 

逢坂 ご期待ください!(笑) 作品だけで3.2トン、そこに台座がついて総重量で3.8トンもあります。準備ではいろいろな苦労もありますが、特別な空間にできればと思っています。

 

オーギュスト・ロダン《接吻》(部分)
1901 – 4 年 ペンテリコン大理石
Tate: Purchased with assistance from the Art Fund and public contributions 1953 image © Tate, London 2017

 

 

――楽しみですね。

 

逢坂 それから、当館のコレクションには、ジョン・エヴァレット・ミレイ《ナイト・エラント》を模写した下村観山の作品があります。観山のような日本画家でさえ、西洋画から技術を取り入れることを試みていたのです。今回、ミレイの同作品がヌード展に展示されている期間、コレクション展でこの観山の模写を観ることができます。

 

ジョン・エヴァレット・ミレイ
≪ナイト・エラント(遍歴の騎士)≫ 1870 年 油彩/カンヴァス Tate: Presented by Sir Henr y Tate 1894, image © Tate, London 2017

 

 

 

下村観山
《ナイト・エラント(ミレイの模写)》
1904
紙本着色、額101.0X75.0cm
横浜美術館蔵(原範行氏・原會津子氏寄贈)

 

裸体表現の根底に在る、「人間にとって身体とは?」

 

 

――テートの所蔵品をメインに構成されていますが、出品作品が134点もある上に、欧米の主要作家に加え、日本ではあまり馴染みのないアーティスト作品も多く、扱う時代の範囲も広い本展。まずはどこからアプローチしていくのが良いでしょうか?

 

逢坂 そうですね。長い伝統のある〈ヌード〉表現ですが、日本人の方が直接的に反応できるのは彫刻ではないかと思います。ロダンが中心になると思うのですが、アルフレッド・ギルバートハモ・ソーニクロフトによる、ギリシアの古代彫刻を模したような新古典主義のブロンズ像もあります。ロシアのアレクサンダー・アルキペンコの作品は伝統的なヴィーナスの姿を模しているように思えます。彫刻作品の数は多くありませんが、バーバラ・ヘップワースマティスヘンリー・ムーアジャコメッティもあります。身体表現の変遷を興味深い作品でたどれるのではないかと思います。

 

ヘンリー・ムーア《倒れる戦士》
1956–57年頃(1957–60年頃鋳造)ブロンズ
Tate: Presented by the artist 1978, © The Henry Moore Foundation. All Rights Reserved, DACS & JASPAR / www.henry-moore.org 2017 C1729, image © Tate, London 2017

 

 

――逢坂館長の専門でもある、現代美術のパートはいかがでしょうか。

 

逢坂 現代では、理想美の追究としての〈ヌード〉ではなく、「身体をどう考えていくか」という時代に突入していると思います。なかでも写真の登場は、それまでの〈ヌード〉観を大きく変えたといえますが、現代美術にとって最も重要な変化は、パフォーマンスの登場だと思います。長い間、絵や彫刻を通して理想的な身体イメージを映し出すモチーフであった身体ですが、生身の身体そのものが表現の媒体になり表現の直接的なツールとなったわけです。さらに、性のとらえ方も変わりつつあり、表現も大胆に開放的になってきています。

 

今、私たちはコンピューターやAIの時代に生きていて、生身の身体が傷ついたときの痛みなど、身体性が希薄になっているのではないかと、強く感じることがあります。文字ひとつとっても、これまではペンで書いていましたよね? ペンがどういった固さでどんな書き心地なのかを含めて使い手との相性で選んでいた時代がありました。「文字は人を表す」といわれてきたように、身体と物との接触が個人を表していたんです。それが今では、コンピューターで文章を書くことの方が多くなった。だんだん漢字も忘れてしまいます(笑)。ある能力はすごく進化するけれども、一方である能力は退化していく。こういう時代にあって、「人間にとって身体とはなんぞや?」と問うことは非常に大切なことだと思いませんか?

 

 

表現の多様性と向き合う機会に

 

 

――とくに注目している作品はありますか?

 

逢坂 写真表現が多様化している現在、今回の出品作家で関心を持っているのはジョン・コプランズです。70歳を過ぎてから自分の体を撮影しはじめた作家で、彼は決して自分の顔は撮らず、生々しい体のみを撮っている。以前なら、美しい女性や筋肉モリモリの完成された男性の身体が被写体でした。ある美意識のもとに構成された身体を撮っていた時代から、それまでは対象にならなかった、老いをそのままさらけ出すことに果敢に挑戦する時代へと変わってきたのではないでしょうか。彼によると、写真化することで生きていると感じるし、活力がわいてくると話しています。彼は生きてきた証としての自分に向き合っているのです。さらに、リネケ・ダイクストラも興味深いです。産まれてまもない赤ちゃんを抱いている女性たちのポートレートで、出産の痛みを通して生命を得たことへの喜びと力強さに向き合っている作品です。この作品は女性の身体性と存在を強烈にアピールしていますから、男性の方はたじろぐかもしれないですね。

 

 

――挑戦的な作品が多いのかもしれませんね。

 

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
《ベッドに横たわるスイス人の裸の少女とその相手》
「スイス人物」スケッチブックより
1802年 黒鉛、水彩/紙
Tate: Accepted by the nation as part of the Turner Bequest 1856, image © Tate, London 2017

 

逢坂 風景画で知られるターナーのエロティックな素描や、ホックニーによる同性愛の版画もありますし、シルヴィア・スレイのように男性ヌードを描く女性の画家の作品もあります。フェミニズムやジェンダー論、LGBTQへの視座など、社会の変化とともに表現の多様性が浮き彫りになってくるのではないかと思います。多様であればあるほど、世代による受け止め方の違いもあらわれてくるかもしれません。年配の方たちは顔をしかめたとしても、若い人たちは当たり前と受け止める。〈ヌード〉というテーマだからこそ、世代や価値観の受け止め方の違いが如実になる。ご覧になる方々の反応を通して、私たちも学びや気づきがある展覧会になると思います。私自身、どうも女性画家による男性ヌードの絵画を前にすると、あまり居心地よくないです……ミケランジェロは平気なのに!(笑)

 

デイヴィッド・ホックニー
《23,4歳のふたりの男子》C.P.カヴァフィスの14編の詩のための挿絵より
1966年 エッチング、アクアチント/紙 Tate:Purchased 1992 © David Hockney

 

開催にあたっては、決して順風満帆ではありません。様々な意見をいただくかと思います。皆さんの反応がどうなるかは開幕してみないとわかりませんが、「果敢にもこんなテーマに挑んでくれてありがとう」というお手紙をすでにいただいたりも。今回は、まさに“大人の展覧会”。どうか、より多くの方に楽しんでいただきたいと願っています。

 

 

 

 

インタビュー・構成/藤原えりみ

 

<注訳>

※1 ケネス・クラークは、研究書『ザ・ヌード 理想的形態の研究』日本語版(美術出版社、1988年/ちくま学芸文庫、2004年)序文にて、「西欧における理想的裸体像〈ザ・ヌード〉という概念のない日本で、この本がどのように受け止められるのか」懸念を示している。英語版(出版当初)序文では「日本および中国では西洋と同じような理想的裸体像の追求という文化的風土もまたその概念もなく、例えば日本の浮世絵に入浴する女性像が描かれることはあっても、それは生活風俗の一断面としてとらえられた身体イメージであって、西欧的な〈ザ・ヌード〉とは異なるものだ(意訳)」と述べている。

 

※2 黒田清輝がパリ留学中に制作しフランスの公募展で入賞も果たした《朝妝》(明治26年・焼失のため現存せず)は、明治28(1895)年4月、第4回内国勧業博覧会にて、妙技二等賞を受けたにもかかわらず、裸体画だったことから公序良俗に反する卑猥なものとして新聞や雑誌等で糾弾された騒動。黒田はその後も裸体画の制作を続け、明治30(1897)年制作の《智・感・情》三部作は代表作となった。

 

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