#快慶・定慶展
大報恩寺とは? VOL.3 「おかめ伝説」

皆さん、こんにちは。
大報恩寺の境内には、「おかめ塚」と呼ばれる石塔があります。この塚は、本堂建立にまつわる物語に由来するものです。
貞応二年(1223)、義空上人が大報恩寺の本堂を建立することになり、長井飛騨守高次(ながいひだのかみ たかつぐ)という棟梁が工事を請け負うことになりました。多くの大工を束ね、大工事は着々と進んでいきましたが、あるとき寄進された大切な四本の柱のうち一本を誤って短く切ってしまいます。代わりの柱を探すも見つからず、このままでは上棟式までに工事を終えることができない、、、。総責任者として悩み苦しんでいたその高次の危機を救ったのが、彼の妻、「おかめ」でした。おかめは「全ての柱を短く切りそろえ、柱の頂上に枡組(ますぐみ)をつけて補えば」と助言をし、高次は無事に上棟式までに工事を終えることができたのでした。
安貞元年(1227)12月26日、盛大な上棟式が行われますが、そこにはおかめの姿はありませんでした。当時は、女性が男性に助言するなどあってはならないといわれていた時代。夫の名誉を守るため、おかめは上棟式を前に、自ら命を絶っていたのです。義空上人はそんなおかめの徳を称え、境内に塚を建てて供養したといわれています。
時が経ち、人々はその塚を「おかめ塚」と呼ぶようになり、この大報恩寺に端を発し江戸中期頃から「おかめ招福信仰」が全国に広まったといわれています。大報恩寺は、いまでは「良縁」、「子授け」、「夫婦円満」などに功徳が大きいといわれています。
境内にあるおかめ塚
お寺では多くのおかめにまつわるグッズが販売されています。
本堂の一角にはおかめのお面や人形が多数展示されています。
次回からは、大報恩寺の寺宝についてより詳しくお伝えします。