四百年遠忌記念特別展 大名茶人 織田有楽斎

京都府

有楽斎(うらくさい)こと織田長益は天文16年(1547)、織田信秀の子、信長の弟として生まれた。信長、秀吉、家康のもと、武将として活躍し、晩年には京都・建仁寺の塔頭である 正伝院を再興、隠棲する。正伝院内に建てた茶室(如庵)は国宝に指定され、各地に如庵の写しが建てられた。近代化の中で寺名を改めつつ、正伝永源院には現在も有楽斎ゆかりの文化財が数多く伝来している。
文化人・有楽斎として名高い一方、武士・長益には悲観的なイメージが付きまとう。天正10年(1582)本能寺の変では、二条御所に籠る自らが付き従う信忠(信長長男)の切腹後、二条御所を脱出。このため、京の人々には「切腹をすすめておいて、逃げた男」と揶揄された。さらにその後、信雄(信長次男)に仕え、家康と秀吉の講和を調整するなど存在感を示したものの、信雄が改易されると今度は秀吉の御伽衆に加わる。関ヶ原の戦いでは東軍として参戦、戦後も豊臣家に仕えたが、大坂夏の陣の前には家康の許可を得て主人から離れた。
織田、豊臣、徳川の3天下人に仕えて時流を乗り切り、75歳までの長い人生を「有楽斎」として京に隠棲した彼の心中には、どのような思いがあったのか。戦乱を生き延びた彼の美意識は現代の茶道に息づき、規範とされている。有楽斎の四百年遠忌にあたり、正伝永源院に伝わる文化財を再度調査をした。ここで得られた知見をもとに、織田有楽斎という人物を今一度捉え直す展覧会となる。
※会期中展示替えあり

開催概要