岩手県

萬鉄五郎 私の履歴書

明治末から昭和の初めにかけ日本近代絵画の最前線に立ち、独自の表現性を求め続けた萬鉄五郎。彼は晩年、自らの画業と半生を振り返りいくつかの回想文を残している。
「私の履歴書」(『中央美術』大正14年11月号)では、美術学校時代について「さかのぼって考えるのに面白かったのは、美術学校の五年間であった。この五年間だけがぽっかり陽があたっているというような感じである」と語り、画友や最愛の夫人との出会いなど充実した学生生活にあって、新たな挑戦を開始する。1912(明治45)年の卒業制作には「ゴッホやマチスの感化のある」《裸体美人》(東京国立近代美術館)を発表し、西洋の新しい美術思潮に共鳴しながら、独自表現を追求した成果を世に問いた。
その後、「段々制作にうえる事に」なり、1914(大正3)年に「土沢」に帰郷。「二科会など始まったようであったがそんなものも見たいとも思わなかった。秋から冬、春から夏という風にどんどん描いたものである」と言うように、中央画壇とは距離を置きつつ、生まれ育った地で自身の顔や風景を題材に実験を繰り返し、土沢の「舘山」を描いたといわれる《丘のみち》(萬鉄五郎記念美術館)や、日本におけるキュビスムの記念碑的作品といわれる《もたれて立つ人》(東京国立近代美術館)に昇華させた。
一方、「水彩画と自分」(『みずゑ』大正12年10月号)では、少年期に大下藤次郎著『水彩画之栞』で学んだ経験に加え、1919(大正8)年に茅ヶ崎に移り住んだ後再び水彩画に興味を持って取り組んだことが記されている。その時期の水彩画からは、巧みな色彩感覚と南画研究の成果が融合した萬ならではの水彩表現が見て取れる。
本展では、美術雑誌に掲載された萬の回想録をもとに、作品や当時の写真資料を交えながら、画家・萬鉄五郎の生涯を見つめなおし、彼の歩みをたどる。

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