埼玉県

大・タイガー立石展 世界を描きつくせ!

絵画、漫画、イラストレーション、絵本……。タイガー立石(本名・立石紘一、1941~98)は、様々なジャンルで活躍したアーティストである。縦横無尽にジャンルをまたぐそのスタイルは、世代を越えて今日の若いアーティストにも刺激を与え続けている。立石は太平洋戦争の始まった1941年に、筑豊の炭鉱の街・伊田町(現・福岡県田川市)で生まれた。戦後は漫画や映画を愛する少年として育ち、1961年に大学進学のために上京。1963年に前衛芸術の牙城であった読売アンデパンダン展で、玩具や流木などを大画面に貼り付けた作品を発表し、頭角を現す。その後、時代や社会のアイコンを大胆に引用した絵画を制作し、和製ポップ・アートの先駆けとして高く評価された。1965年からは漫画も描きはじめ、「タイガー立石」の筆名を用いて漫画の連載を手がけた。台詞のないナンセンス漫画は国境を越え、海外の雑誌でも紹介された。
日本での活躍が期待されていたさなか、立石は突如イタリアに移住。1969年から13年間にわたりミラノを中心に活動する。イタリアでは漫画を応用し、画面をコマ割りにした絵画を精力的に描き、そのSF的な世界や独特の画風はイタリアの美術界だけでなく、建築・デザインの世界からも注目された。当時、ラジカルな建築・デザイン運動を先導していたエットレ・ソットサスやアレッサンドロ・メンディーニらと協働し、卓越したイラストレーションの仕事を残した。1982年に帰国すると、自作の漫画を編纂した『虎の巻』を刊行する一方、絵本の制作にも着手し、視覚的な遊びを盛り込んだ絵本を多数手がけ、好評を博した。絵画では、大衆的なイメージや、明治・大正・昭和といった歴史を振り返るモチーフをとりあげ、パロディにみちた大作も描いた。また、軸物や巻物など伝統的な絵画形式にも挑戦し、多彩な才能を発揮している。
立石の作品では、芸術とサブカルチャー、西洋/東洋、過去/現在/未来といった区別は無効になり、世界のヒエラルキーが徹底的に解体されている。目にしたありとあらゆる世界を、作者の画力によって奇想天外な時空間の中に繰り返し引用、再編し、多次元的なものへと拡張していくのが、まさに「立石ワールド」なのだ。
1998年に立石は56歳でこの世を去ったが、2021年は生誕80年を迎える記念の年となる。この節目に、うらわ美術館と埼玉県立近代美術館は本展を共同で開催し、タイガー立石という特異なアーティストを大規模に振り返る。

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