熊本県

細川忠利と三宅藤兵衛 肥後にやってきた、光秀の孫たち

今年の大河ドラマの主人公・明智光秀。無名の存在から身を立て、織田信長のもとで活躍し、最後は本能寺の変でその信長を葬り去ったことで知られるが、その光秀と細川家は、ともに室町幕府に仕えたもと同僚の間柄。ガラシャが忠興と結婚したことにより、血縁で結ばれた関係でもあった。かかる背景もあり、じつは肥後熊本の歴史には、光秀と「えにし」を有する人物が少なからず登場する。
本展では、その中から、江戸時代に肥後へやってきたふたりの「孫」に注目する。ひとりは細川忠利。忠興とガラシャの三男として生まれた彼は、ちょうど400年前に家督を譲られた殿さま。寛永9年(1632)に熊本藩主となり、肥後にやってきた。
もうひとりは、三宅藤兵衛。明智家臣の明智左馬助と光秀の娘(ガラシャの姉)の子息として生まれ、ガラシャの世話にもなりながら育ち、唐津藩寺澤家に仕え、天草の富岡城の城代となった人物。天草・島原一揆のおりに戦死するが、子孫は肥後細川家に仕えていく。
図らずも、肥後の地に活躍の場を得たふたりの光秀の孫。ゆかりの品々を中心に、それぞれの事績を紹介する。
※会期中、一部展示替えあり

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