東京都

壁に世界をみる ― 𠮷田穂高展

𠮷田穂高(1926-1995)は旅を愛し、45カ国以上の地を訪れた版画家。旅先で彼の心をとらえたのは名所風景ではなく、その土地に息づく無名の壁や塀、柱、標識、家といった身近な対象物だった。穂高の画風は時代ごとに大きく変化していくが、こうした対象物への偏愛は創作活動と並行して継続し、彼が旅先で撮影した膨大な写真のコレクションはやがて穂高の作品世界を創る際に欠くことのできない要素となっていく。
穂高の創作活動に大きな影響を与えたのは、「𠮷田家」という家族の存在。父は太平洋画会の創立に関わった洋画家で後年は版画家となった𠮷田博、母は女流画家の𠮷田ふじを、15歳年上の兄・遠志も画家への道を歩み、世界を旅する「美術一家」のなかで成長した。中学時代に開戦となり、徴兵猶予のため1944年旧制第一高等学校理系に進学。そこで現代短歌へ傾倒し、家族に習うことなく独学で油彩を始める。
戦後は短歌活動のほか日本アンデパンダン展などに油彩画を出品し、画家としての一歩を踏み出すが、50年代前半には短歌から離れて活動の軸足を版画に移す。
55年兄とともにアメリカ・中米を旅行した際、古代マヤ文明に強い衝撃を受け、この後は生命感をテーマにした力強い抽象木版画へと作風を変化させていく。
63年に再び渡米した際には、当時全盛であったポップアートに触発され、木版に写真製版を併用した独自の技法を開拓した。
72年にはオーストラリアで撮影したスナップ写真を素材にした作品を制作し、『私のコレクション』シリーズを開始。それまで撮り溜めた各地の写真を素材にしたこのシリーズには、アトリエがある三鷹市井の頭で取材した題材も描かれている。
本展では、穂高の没後25年を機にこれまで紹介されていなかった油彩画や初期版画作品にも注目し、その原点から晩年にいたる作品を紹介。もの云わぬ〈壁〉と語り、無限に広がる世界をみた𠮷田穂高の感性は、今なお新鮮な輝きを放っている。
※会期中、一部展示替えあり

開催概要

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